統一王朝以前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 21:59 UTC 版)
詳細は「エジプト先王朝時代」および「ナカダ文化」を参照 前4千年紀において最も重要な文化は上エジプトで登場したナカダ文化である。ナカダ文化は北はアビュドス、南はヒエラコンポリスまでの地域から登場し、その後エジプト全域に普及していく。ナカダ文化期には農耕・牧畜の重要性が増し、それを中心にした社会が形成され、多種多様な器形の土器が生産されていた。特に現在発見されているナカダ文化の土器は、上流階級の墓地に収める副葬品として生産されたものが中心であるためか、単なる日用品であった後代の王朝時代の土器類よりも品質が良いことを特徴とする。パレット[要曖昧さ回避]と呼ばれるアイシャドーを磨り潰すための石製品もこの時代に登場している。 下エジプトでは恐らくファイユーム文化やメリムデ文化など、より古い時代の文化から発展したマーディ・ブト文化と呼ばれる文化が成長していた。この文化の痕跡はナイル川流域を離れたシナイ半島からも発見されている。エジプトから銅製品が発見されるようになることから、この頃からシナイ半島や東方砂漠地帯からの銅の採集が行われていたと見られている。シナイ半島からの銅の調達は後の王朝時代において王家主導で行われる大規模事業へと発達する。 相互に関係を持ちつつもそれぞれ独自の発達を続けていた上エジプトと下エジプトの文化であったが、ナカダ2期(ナカダ文化は1-3期に分類される)の間までに、下エジプトのマーディ・ブト文化は急速に独自性を失い、エジプト全域にナカダ文化の系譜を引く共通の文化が分布するようになっていった。このためにナカダ2期の終わりには、エジプトが「文化的に統一」(高宮いづみ)されたと言われるような状況が生じた。この文化的な統一が政治上の統一を示すものと見ることができるかどうかはわからないが、これらの状況証拠から、上下エジプトでそれぞれに発達していた文化圏は前4千年紀の間に、上エジプトの人々の主導で統一されていったと考えられている。 ナカダ3期(英語版)(前3300年-前3100年頃)に入ると、上エジプトの墓地でははっきりと階層分化の傾向が見られるようになり、西アジアとの接触や交易路の確立、さらに文字の使用の開始が開始されるなど、短期間のうちにエジプトの社会・政治・文化に大きな変化があった。ナカダ3期の後半にはエジプト第1王朝に先行する数名の王(例えばサソリ王)の存在が知られているため、この時期をエジプト原王朝時代、またはエジプト第0王朝と呼ぶ場合もある。 ヌビアではヌビアAグループ文化と呼ばれる文化集団が栄えていた。この文化はエジプトのナカダ文化と密接な関わりを持ち、それと匹敵する文化水準を保持していた。この文化ではエジプトの王権概念と通底するモチーフ(例えばホルス神や上エジプトの王冠である白冠、ヘジェト)が用いられていたことから、エジプト文明以前の「ヌビアの失われたファラオ」の存在を巡って議論が行われた。これは現在では学術的には否定的見解が強いが、人種問題やヨーロッパ文明のアイデンティティを巡る議論に影響を与えている。
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