第18王朝とは? わかりやすく解説

エジプト第18王朝

(第18王朝 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/04 01:15 UTC 版)

エジプト第18王朝(エジプトだい18おうちょう、紀元前1570年頃 - 紀元前1293年頃)は、新王国時代最初の古代エジプト王朝。政権としては第2中間期テーベ(古代エジプト語:ネウト、現在のルクソール[注釈 1])政権である第17王朝と完全に連続した政権であるが、エジプト統一を成し遂げたイアフメス1世以降は第18王朝とするのが慣例となっている。エジプトの再統一による国力増大によって数々の大規模建築が残され、ヌビアシリア地方に勢力を拡大し、オリエント世界に覇を唱えた。


注釈

  1. ^ 紀元前3世紀のエジプトの歴史家マネトの記録ではディオスポリスマグナと呼ばれている。これはゼウスの大都市の意であり、この都市がネウト・アメンアメンの都市)と呼ばれたことに対応したものである。この都市は古くはヌエと呼ばれ、旧約聖書ではと呼ばれている。ヌエとは大都市の意である。新王国時代にはワス、ワセト、ウェセ(権杖)とも呼ばれた。
  2. ^ アナトリア半島南東部からメソポタミア中流域に勢力を持った王国。フルリ人を中心とした国家であり、王家を含む上層部にはインド・ヨーロッパ語を解する人々がいたとされる場合が多いが不詳。
  3. ^ 古代エジプト人にとって方角の基準はナイル川であった。特に上エジプト地域では実際の方角に関係なく、観測地点でのナイル側の上流方向が南、下流方向が北とされている。「逆さに流れる」とは即ちユーフラテス川が北側から南方向へ流れていることによる。
  4. ^ ハトシェプスト以前にも数名の女王の存在が知られているが、彼女らはいずれも自ら主導権をとって即位したものではなく、業績自体ほとんどわかっていない。
  5. ^ アメン・ラー神のことを指す。この碑文ではエジプト軍の移動がアメン・ラー神の移動という形で語られている。
  6. ^ 当時シリアには象が100頭を超える群を形成して生息していた。しかし西アジアの象は現在では完全に絶滅してしまっている。
  7. ^ アナトリア半島の都市ハットゥシャを中心にインド・ヨーロッパ語を話すヒッタイト人らによって形成された王国。世界で初めて製鉄の技術を確立したとも言われている。
  8. ^ メソポタミア南部、「シュメールとアッカド」と呼ばれる地方のこと。中心的都市であるバビロンにちなみこの名で呼ばれる。当時はカルドニアシュと呼ばれた。
  9. ^ 別名バビロン第3王朝。ザグロス山脈方面からメソポタミアに移動したといわれる系統不明の民族カッシート人によって立てられ、古代バビロニア史上最も長く続いた。
  10. ^ この時代の外交書簡には「エジプトには塵のように黄金がある」と記すものがある。この黄金の主要な供給源こそヌビアであった。
  11. ^ 20世紀初頭のアメリカのエジプト学者。初めて肥沃な三日月地帯という概念を提出したことで知られる。
  12. ^ 後に王となるホルエムヘブとは別人。
  13. ^ アメンヘテプ4世の共同統治説を受け入れる場合、アテン神信仰の確立にアメンヘテプ3世自身が強く関っていたことになる可能性がある。これのため非常に大きな論争が行われているのである。
  14. ^ 「アテンの意に適う者」と訳す説もあり[2]
  15. ^ 「世界初の一神教」ともいわれるアテン信仰であるが、アテン・ラー賛歌などの宗教作品が後の『旧約聖書』などと類似した表現を用いることからユダヤ教キリスト教に対する思想的影響を指摘する説があった。しかし今日では、アテン信仰が流布した範囲が極めて限られていることや、時期的にあまりにも離れすぎているため、似たような精神的背景によって偶然類似した表現が用いられているに過ぎず、アテン信仰と後世の一神教との関係性はあまりないと考えられている
  16. ^ トゥトアンクアメンは、ほとんど未盗掘のまま発見された彼の墓から有名な黄金のマスクを初めとした宝物が出土したために極めて有名な王である。しかしほとんど実績を残さず死亡したために彼についての歴史記録は十分とは言えず、家族関係や即位の経緯を含めて詳細は今なお不明な点が多い。
  17. ^ ダムハンズとは王妃を意味するエジプト語の単語を基にした名前であると考えられる。ヒッタイト側では実名であるととったらしい。ダムハンズは一説にはトゥトアンクアメンの王妃アンケセンアメンであるといわれているが、アクエンアテンの王妃ネフェルティティであるとする説も存在する。

出典

  1. ^ アメンヘテプ3世の外交政策についての記述は「アメンヘテプ3世とその時代」『岩波講座世界歴史2 オリエント世界』に基づく。
  2. ^ 参考文献「アテン・ラー賛歌」『筑摩世界文学大系1 古代オリエント』を参照。


「エジプト第18王朝」の続きの解説一覧

第18王朝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 14:12 UTC 版)

カルナック神殿複合体の歴史」の記事における「第18王朝」の解説

神殿複合体主な拡張は、第18王朝(紀元前1550-1295年頃)のうちになされたアメンホテプ1世紀元前1525-1504年頃)は聖舟祠堂や門を構築したトトメス1世紀元前1504-1492年頃)は中王国神殿を囲む周壁建築し、今もその場所に立っている神殿最古部分より構成される第4塔門と第5塔門つないだ。それらは、後にトトメス3世紀元前1479-1425年頃)によって建てられた壁により視界から隠された、14本のパピルスおよび2本のハトシェプスト紀元前1473-1458年頃)のオベリスク取り囲んだトトメス2世紀元前1492-1479年頃)は神殿前面祝祭中庭配置し、それは後の構成より取り除かれたが、ブロック第3塔門の中の埋め込みから回収されている。ハトシェプストトトメス3世のもと、塔とともに強化され別の周壁建てられ隣接する聖池構築あるいは拡張された。トトメス3世治世中には主神殿自体に Akh-menu と呼ばれる建物追加され50拡張された。これは通常記念建造物のうち最も壮麗なもの」と訳されるが、別にも訳がある。ガーディナーエジプト文法によると、akh という語は「壮麗」(英: gloryもしくは祝福された/生きる聖霊」(英: blessed/living spirit)のどちらかの意味とすることができる(例えば、アクエンアテン〈Akhenaten〉はしばしば「アテン生きる聖霊」〈英: "living spirit of Aten"〉と訳される)。従って、代わる訳は「生きる聖霊のための記念建造物」となる。それは現在トトメス3世祝祭殿英語版) として知られ、完全に日除けおよび覆い備えた反響する巨大な覆われ祠堂表面には装飾施されている。この神殿の、カルナック王名表英語版)は、神殿複合体一部築いた何人かの以前の王とともにトトメス3世示している。エジプト首府アケトアテン移ったアマルナ時代における束の間中断の後、ツタンカーメン紀元前1336-1327年頃)やホルエムヘブ紀元前1323-1295年頃)のもとカルナックにおいての建設再開した第9塔門直ち取り壊されアケトアテンのタラタート(英語版)として知られる資材用いて南軸沿いに建造された。

※この「第18王朝」の解説は、「カルナック神殿複合体の歴史」の解説の一部です。
「第18王朝」を含む「カルナック神殿複合体の歴史」の記事については、「カルナック神殿複合体の歴史」の概要を参照ください。


第18王朝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 22:35 UTC 版)

ファラオ」の記事における「第18王朝」の解説

新王国時代、特に第18王朝における国家根幹は、前述したように圧倒的な軍事力であった。特に、トトメス3世は王自身錬成された軍隊率いて精力的に親征赴いた結果史上最大帝国築き上げることになる。

※この「第18王朝」の解説は、「ファラオ」の解説の一部です。
「第18王朝」を含む「ファラオ」の記事については、「ファラオ」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「第18王朝」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ

「第18王朝」の例文・使い方・用例・文例

Weblio日本語例文用例辞書はプログラムで機械的に例文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「第18王朝」の関連用語





5
イクナートン デジタル大辞泉
52% |||||

6
エスナ デジタル大辞泉
52% |||||

7
ツタンカーメン デジタル大辞泉
52% |||||

8
ヒクソス デジタル大辞泉
52% |||||

9
ヒビス神殿 デジタル大辞泉
52% |||||

10
カラブシャ神殿 デジタル大辞泉
38% |||||

第18王朝のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



第18王朝のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのエジプト第18王朝 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのカルナック神殿複合体の歴史 (改訂履歴)、ファラオ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。
Tanaka Corpusのコンテンツは、特に明示されている場合を除いて、次のライセンスに従います:
 Creative Commons Attribution (CC-BY) 2.0 France.
この対訳データはCreative Commons Attribution 3.0 Unportedでライセンスされています。
浜島書店 Catch a Wave
Copyright © 1995-2024 Hamajima Shoten, Publishers. All rights reserved.
株式会社ベネッセコーポレーション株式会社ベネッセコーポレーション
Copyright © Benesse Holdings, Inc. All rights reserved.
研究社研究社
Copyright (c) 1995-2024 Kenkyusha Co., Ltd. All rights reserved.
日本語WordNet日本語WordNet
日本語ワードネット1.1版 (C) 情報通信研究機構, 2009-2010 License All rights reserved.
WordNet 3.0 Copyright 2006 by Princeton University. All rights reserved. License
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
「斎藤和英大辞典」斎藤秀三郎著、日外アソシエーツ辞書編集部編
EDRDGEDRDG
This page uses the JMdict dictionary files. These files are the property of the Electronic Dictionary Research and Development Group, and are used in conformance with the Group's licence.

©2024 GRAS Group, Inc.RSS