エジプト第2中間期
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エジプト第2中間期(エジプトだい2ちゅうかんき、紀元前1782年頃 - 紀元前1570年頃)は、古代エジプト史における時代区分の1つ。第13王朝から第17王朝までをこの時代に区分するのが一般的である。ただし、第13王朝や第14王朝を中王国に含める見解もある。概ね中王国時代の統一が崩れ、下エジプト(ナイル川三角州地帯)にヒクソス(ヘカ・カスウト 異国の支配者達の意)と呼ばれる異民族が第15王朝を築いて支配を確立していた時代が第2中間期に分類される。第17王朝の王達による対ヒクソス戦争の結果、第15王朝は滅ぼされヒクソスの政権は瓦解。第2中間期の分裂は収拾され再びエジプトが統一、古代エジプト史上最も繁栄した新王国時代が始まる。
- ^ 紀元前3世紀のエジプトの歴史家マネトの記録ではディオスポリスマグナと呼ばれている。これはゼウスの大都市の意であり、この都市がネウト・アメン(アメンの都市)と呼ばれたことに対応したものである。この都市は古くはヌエと呼ばれ、旧約聖書ではノと呼ばれている。ヌエとは大都市の意である。新王国時代にはワス、ワセト、ウェセ(権杖)とも呼ばれた。
- ^ マネトによる記録もまたこうした見解の代表格である。
- ^ 例えば戦車の使用、ロバの殉葬の風習、シリア的な建築様式の導入等。ただし、ヒクソスとエジプトにおける戦車の使用を関連付けることには異論もある。詳細はヒクソスを参照。
- ^ 例えばヒクソス時代にもそれ以前からのエジプト官僚が継続して任用されていた事実、また第15王朝の王達がエジプトの伝統的慣習にのっとってカルトゥーシュとラー神名を構成要素に含む即位名(上下エジプト王名)を用いていたことなどがこれを示す。
- ^ 第2中間期の第17王朝と、新王国時代最初の第18王朝は完全に連続した政権である。詳細はエジプト第17王朝、エジプト第18王朝を参照。
- 1 エジプト第2中間期とは
- 2 エジプト第2中間期の概要
- 3 概略
- 4 第2中間期に関する史料
- 5 オリエント国際政治とエジプト
エジプト第2中間期(第13- 17王朝)
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「古代エジプトの宗教」の記事における「エジプト第2中間期(第13- 17王朝)」の解説
第14王朝時代にエジプトに侵入したヒクソスは、エジプトにいる神々の中からセトを自らの神として選び出した。このセトは、オシリスとホルスの神話における悪の神としての性格を持つものではなく、ヒクソスたちアジア系の神の性格を持つものであった。 また、シリア地方のバアルが崇拝されていた痕跡も残されている。このバアルはセトと関連付けられ、第14王朝時代にはセトが新しい首都アヴァリスの主神、信仰の中心地となった。このセトはヒクソスが崇拝した神であり、何らかの関連があるのは確実であると思われる。この時代には恐らくアジア系と見られる王も登場している。 ヒクソスたちは、セトを自らの神として選んだものの、古い王家の神であったラーの保護をも求めた。彼らが、エジプト人たちに新しく、あるいは無理な宗教信仰を強制した形跡は見当たらない。 その後、ヒクソスの支配から脱却した古代エジプト人から、新しい信仰が勃興した。
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