第10の哨戒 1944年1月 - 2月
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「グレイバック (SS-208)」の記事における「第10の哨戒 1944年1月 - 2月」の解説
1月28日、グレイバックは10回目の哨戒で東シナ海に向かった。グレイバックのこの哨戒はその戦果から最も成功したものとして記録されたが、同時に最後の哨戒となった。2月19日、グレイバックは北緯21度40分 東経119度50分 / 北緯21.667度 東経119.833度 / 21.667; 119.833の台湾高雄南南西100キロ地点で、基隆からパラオに向かうタパ02船団を発見。16時1分、グレイバックは船団中の陸軍船大敬丸(大阪商船、4,740トン)に魚雷3本を命中させて撃沈。これを見た陸軍タンカー東神丸(岡田商船、1,917トン)が救助のために現場に反転して救助作業に当たっていた。21時40分、グレイバックは猫鼻頭西南西60キロメートルの地点で東神丸にも魚雷を命中させて撃沈。一時救助された者も含め多数の犠牲者を出した。2月24日3時36分、グレイバックは北緯25度14分 東経122度58分 / 北緯25.233度 東経122.967度 / 25.233; 122.967の地点あるいは北緯24度20分 東経122度25分 / 北緯24.333度 東経122.417度 / 24.333; 122.417の地点でヒ40船団を発見。ヒ40船団は当初タンカー5隻と特設運送船浅間丸(日本郵船、16,975トン)で構成されていたが、2月19日にジャック (USS Jack, SS-259) が4隻のタンカーを撃沈し、残った浅間丸と特設運送船(給油)南邦丸(飯野海運、10,033トン)はほうほうの体で台湾東岸まで逃げてきたところであった。3時45分、グレイバックは両船に対して魚雷を発射。南邦丸に2本、浅間丸に1本命中させ南邦丸は炎上し沈没。浅間丸は小破した。翌2月25日、グレイバックは北緯25度57分 東経123度20分 / 北緯25.950度 東経123.333度 / 25.950; 123.333の地点から無線で戦果報告を行い、残りの魚雷は前部発射管に1本、後部発射管に1本の計2本のみとも伝えた。これに対し司令部から3月7日にミッドウェー島に到着するようグレイバックに命じた。しかし、到着予定の3月7日にグレイバックはミッドウェー島には到着せず、3月23日まで待っても状況は変わらなかった。3月30日、太平洋潜水艦隊司令部は「グレイバックは喪失し、総員行方不明になったと推定する」と発表した。
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