第10の哨戒 1944年1月 - 2月とは? わかりやすく解説

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第10の哨戒 1944年1月 - 2月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 11:20 UTC 版)

グレイバック (SS-208)」の記事における「第10の哨戒 1944年1月 - 2月」の解説

1月28日グレイバック10回目哨戒東シナ海向かったグレイバックのこの哨戒はその戦果から最も成功したものとして記録されたが、同時に最後哨戒となった2月19日グレイバック北緯2140東経11950分 / 北緯21.667度 東経119.833度 / 21.667; 119.833の台湾高雄南南西100キロ地点で、基隆からパラオに向かうタパ02船団発見16時1分、グレイバック船団中の陸軍船大敬丸(大阪商船、4,740トン)に魚雷3本命中させて撃沈。これを見た陸軍タンカー東神丸(岡田商船、1,917トン)が救助のために現場反転して救助作業当たっていた。2140分、グレイバック猫鼻頭西南西60キロメートル地点で東神丸に魚雷命中させて撃沈一時救助された者も含め多数犠牲者出した2月24日3時36分、グレイバック北緯2514東経12258分 / 北緯25.233度 東経122.967度 / 25.233; 122.967の地点あるいは北緯2420東経12225分 / 北緯24.333度 東経122.417度 / 24.333; 122.417の地点ヒ40船団発見ヒ40船団当初タンカー5隻と特設運送船浅間丸日本郵船16,975トン)で構成されていたが、2月19日ジャック (USS Jack, SS-259) が4隻のタンカー撃沈し残った浅間丸特設運送船給油)南邦丸(飯野海運10,033トン)はほうほうの体台湾東岸まで逃げてきたところであった3時45分グレイバックは両船に対して魚雷発射。南邦丸に2本、浅間丸に1本命中させ南邦丸は炎上し沈没浅間丸小破した。翌2月25日グレイバック北緯2557東経12320分 / 北緯25.950度 東経123.333度 / 25.950; 123.333の地点から無線戦果報告行い残り魚雷前部発射管に1本、後部発射管に1本の計2本のみとも伝えた。これに対し司令部から3月7日ミッドウェー島到着するようグレイバック命じた。しかし、到着予定3月7日グレイバックミッドウェー島には到着せず3月23日まで待って状況は変わらなかった。3月30日太平洋潜水艦隊司令部は「グレイバック喪失し総員行方不明になった推定する」と発表した

※この「第10の哨戒 1944年1月 - 2月」の解説は、「グレイバック (SS-208)」の解説の一部です。
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