第二河和海軍航空隊
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「河和海軍航空隊」の記事における「第二河和海軍航空隊」の解説
水上機練成部隊であった小松島海軍航空隊の増員に速やかに対応すべく、既設の水上機基地の中から手頃なものを探していたところ、落成まもない河和に白羽の矢が立てられた。これにより、まったく教育系統が異なる二つの河和航空隊が誕生した。両航空隊の間に交流はほとんどなく、第一航空隊は山手で整備教育、第二航空隊は海岸で搭乗訓練に明け暮れた。 昭和18年(1943年)12月1日 小松島海軍航空隊知多分遣隊設置。 昭和19年(1944年)4月1日 独立し「第二河和海軍航空隊」開隊。連合練習航空総隊隷下の第十一連合航空隊(横須賀鎮守府隷下練成教育隊)に編入。 5月頃 北浦海軍航空隊より予備学生転入。 8月頃 強風配備開始。 10月頃 燃料節減のため、訓練回数の間引き開始。 昭和20年(1945年)1月 名古屋市へのB-29空襲に際し、訓練用の強風・二式水上戦闘機での迎撃を開始。 1月19日 強風隊2機がB-29を1機撃墜・初戦果。 2月26日 神風特別攻撃隊編制。「御盾隊」の一員として「河和隊」を名乗る。以後、強風による迎撃・御盾隊の訓練と保全に従事。 5月5日 実施部隊に変更。第三航空艦隊第十三航空戦隊に転籍。 6月頃 強風による迎撃はほぼ不能。御盾隊は機体の隠匿を開始。 7月頃 河和飛行場への直接攻撃が頻発。強風の集中配備・ロケット弾発射訓練開始。 8月5日 御盾隊、玄界灘水上機基地に進出。15日出撃命令が発令されるが、玉音放送により中止。24日帰還。 終戦後武装解除・解隊
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