神吉晴夫の台頭と、初代編集長、加藤一夫の功績
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 09:07 UTC 版)
「光文社」の記事における「神吉晴夫の台頭と、初代編集長、加藤一夫の功績」の解説
光文社が出版界の第一線に躍り出ることができたのは、その講談社から一足早く光文社に移っていた神吉晴夫と、伝説の初代編集長、加藤一夫の手によってである。神吉は「創作出版論」という独特の編集理論をもっていて、それを加藤一夫は編集者として、次々に実現していった。彼らによって、次々とベストセラーが出されていく。1950年の波多野勤子『少年期』がその嚆矢で、1953年にはローゼンバーグ夫妻の『愛は死を越えて』の翻訳刊行がされた。1957年には田宮虎彦の妻千代の死への追悼文や往復書簡をまとめた『愛のかたみ』を刊行した。 その一方、1954年には神吉晴夫が、伊藤整『文学入門』と中村武志『サラリーマン目白三平』を皮切りとして「カッパ・ブックス」を創刊。この新書シリーズは、その後の出版界を長く席巻し、「カッパ旋風」を巻き起こした。 1959年 『にあんちゃん』(安本末子) 1967年 『頭の体操』(多湖輝) - シリーズ累計1200万部以上 1971年 『冠婚葬祭入門』(塩月弥栄子) - シリーズ累計616万部以上 など。青春出版社、KKベストセラーズ、祥伝社などとともに、新書ブームの一翼を担った。 1958年には朝日新聞に全五段の広告を打って松本清張『点と線』『眼の壁』の2冊を同時発売、松本清張をベストセラー作家に押し上げた。1959年には「カッパ・ノベルス」を創刊。また、『点と線』(松本清張)、『日本沈没』(小松左京)、『悪魔の飽食』(森村誠一)などが送り出されている。 雑誌においても、1958年創刊の『女性自身』で女性誌ブームを起こす。1965年には、推理小説雑誌だった旧『宝石』の権利をかいとり、男性向け総合雑誌の『宝石』が創刊された。
※この「神吉晴夫の台頭と、初代編集長、加藤一夫の功績」の解説は、「光文社」の解説の一部です。
「神吉晴夫の台頭と、初代編集長、加藤一夫の功績」を含む「光文社」の記事については、「光文社」の概要を参照ください。
- 神吉晴夫の台頭と、初代編集長、加藤一夫の功績のページへのリンク