眷恋の地・ギリシャ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 07:26 UTC 版)
トラベラーズチェック盗難に遭ったパリや、ロンドンのあっさりした記述に比べ、「眷恋の地」ギリシャにやって来た三島は、「終日ただ酔ふがごとき心地」で遺跡や廃墟を廻り、パルテノン神殿をはじめとする遺跡の美に打たれるとともに、それらの背景をなす「青空」に引きつけられ、「今日も絶妙の青空、絶妙の風、夥しい光。……さうだ、希臘の日光は温和の度をこえて、あまりに露はで、あまりに夥しい。私はかういふ光りと風を心から愛する」と、ギリシャの日光への「愛」を記している。そして、古代ギリシャの思想に自身の「古典主義的傾向の帰結」を見出した三島は、その時の心境を次のように語っている。 それはいはば、美しい作品を作ることと、自分が美しいものになることとの、同一の倫理基準の発見であり、古代ギリシア人はその鍵を握つてゐたやうに思はれるのだつた。近代ロマンチック以後の芸術と芸術家との乖離の姿や芸術家の孤独の様態は、これから見れば、はるか末流の出来事であつた。(中略)ギリシアは、私の自己嫌悪と孤独を癒やし、ニイチェ流の「健康への意志」を呼びさました。私はもう、ちよつとやそつとのことでは傷つかない人間になつたと思つた。晴れ晴れとした心で日本に帰つた。 — 三島由紀夫「私の遍歴時代」 そしてこの昂奮の気持ちの続きで、翌年1953年(昭和28年)に三重県の神島で執筆した作品が、古代ギリシアの物語『ダフニスとクロエ』を下敷きにした小説『潮騒』である。この『潮騒』の「通俗的成功」と「通俗的な受け入れられ方」は、その後の三島に「冷水」を浴びせる結果となり、だんだんとギリシャ熱が冷めるきっかけにもなったというが、このギリシャ体験と、前述の「太陽」との出会いは、その後の三島の「肉体改造」(ボディビル)への伏線を形作り、〈肉体と精神の照応〉〈肉体の古典的形姿〉〈文武両道〉は終生目指され、「現実・肉体・行為」がシノニムというテーマに発展すると田坂昮は指摘している。
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