琉球放送
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琉球放送株式会社(りゅうきゅうほうそう、Ryukyu Broadcasting Corporation)は、沖縄県を放送対象地域とした中波放送(AM放送)とテレビジョン放送事業を行っている、特定地上基幹放送事業者である。略称はRBC。
注釈
- ^ RBCはQABの放送業務のうち、アナウンス・報道取材・営業関係の一部を除く大部分の業務を受託しているため、事実上QABとの1局2波体制である。
- ^ 同スタジオから番組を放送する下地暁が運営する芸能事務所、ラグーン・ミュージックのオフィスに同居。LMEProfile - 下地暁オフィシャルサイト、2022年7月4日閲覧。
- ^ 琉球放送 代表取締役最高顧問
- ^ a b 琉球放送 非常勤取締役
- ^ a b 琉球放送 代表取締役社長
- ^ 琉球放送 代表取締役会長
- ^ 公共放送以外での1局複数波体制としては、当時宗教放送局だった1958年開局のFEBC沖縄放送局(後の極東放送、現・エフエム沖縄)が1959年から1972年の復帰前まで1局最大3波(英語・日本語・中国語)放送した。また、中波放送での1局複数波体制では沖縄の事例2局が唯一だった。なお、純粋な日本本土の民間放送局1局2波体制としては、1963年に日本短波放送(現・日経ラジオ社、愛称・ラジオNIKKEI)が第2プログラム(現・第2放送)を開始したことから、沖縄が当時アメリカ統治時代だったことを考えると日本短波放送が日本の民放ラジオ局初の体制であったと見なされている。現在はラジオNIKKEIの他、2012年にFM COCOLO(1995年開局)を運営した関西インターメディアから譲受したFM802(1989年開局)が1局2波体制を行っている。
- ^ 新聞ではRBC那覇本局とは別に宮古局の番組表の掲載があり、「先島アワー」などの独自番組を放送していた。(1968年9月30日沖縄タイムス8面)
- ^ これは当時の琉球政府主席である大田政作が「本土復帰がかなわないなら、せめて本土と同時にテレビ放送が見たい」と日本国政府(郵政省)や日本電信電話公社に要望したことによるものである。
- ^ 1972年の復帰にあたり郵政省よりラジオ1局2波は前例がないとして認められず、経過措置満了で廃止された。
- ^ 送信所を併設している琉球朝日放送が開局するため、また送信所更新工事のため、この年の3月と6月末から8月の土日の放送を深夜1時で終了した。
- ^ 2002年の民教協加盟以降は、民教協関連の番組のみ放送。
- ^ QABの放送業務は、コスト削減などのため、報道取材・営業関係など一部を除き、出資元のRBCが受託している。このためRBCのテレビ放送事業は、事実上1局2波体制である。
- ^ ただし、2000年度までにおけるRBCニュースのロングOPで旧来のロゴが使われていたように、完全移行には時間が掛かっていた。
- ^ 1998年4月からアナログ閉局までの間は、沖縄本島からの距離が離れており中継回線の設置が困難であったため、TBSテレビの小笠原諸島中継局から分波する形で、TBSテレビの中継局を設置していた
- ^ 1964年 - 2005年5月は宮古放送局として1152kHzで放送(最後の1ヶ月は現FM中継局とのサイマル放送)し、中継局も宮古島にあった。
- ^ それまでは宮古局を受信した他、島独自の親子ラジオ局・中央放送を通して受信していた所もあった。
- ^ 「ココロのオンガク」や「純次と直樹」(ともに文化放送)や「心のともしび」(KBS京都)など。かつては「あさナビ」や日立一社提供夜の帯番組や新日鉄コンサート(以上ニッポン放送)や「北方謙三 水滸伝」(九州朝日放送)なども数多く存在した。「あさナビ」のネット受けが終了した2023年秋改編以降、RBCiラジオにおけるニッポン放送からのネット受けレギュラー番組は皆無となった。
- ^ 開始当時はRBCアナウンサー。退職しフリーとなったあとも引き続き担当
- ^ 県内の他の民放ラジオ局の局名告知では、ラジオ沖縄が本社スタジオと親局・FM補完局の送信場所を、FM沖縄が本社スタジオの場所を、それぞれ紹介している。
- ^ 水曜は鎌田担当ヴァージョン、木曜は片野担当ヴァージョン
- ^ 片野達朗(Katano Tatsuro)担当ヴァージョン
- ^ 鎌田宏夢(Kamada Hiromu)担当ヴァージョン
- ^ ラジオ沖縄、FM沖縄でも放送。
- ^ 鎌田宏夢(Kamada Hiromu)担当ヴァージョン
- ^ 鎌田宏夢(Kamada Hiromu)担当ヴァージョン
- ^ 片野達朗(Katano Tatsuro)担当ヴァージョン
- ^ 7 - 12月は録音風物誌(火曜会)を放送。1 - 6月はラジオ沖縄で放送。
- ^ 2022年12月までは「宮城麻里子のハッピーウエディング」のタイトルで放送
- ^ 北陸放送へネット(2022年4月3日 - 、ネット開始 - 2024年3月:月曜 0:30(日曜深夜 24:30)、2024年4月 - :土曜 20:00)
- ^ a b 放送設備保全工事により休止の場合あり
- ^ 不定期で0:00 ‐ 0:30『沖縄スタートアップセレクション』
- ^ この三番組は、TBS『ザ・ベストテン』の四要素のひとつであるラジオ総合ベスト10のRBCのランキングデータとして毎週提供されていた
- ^ 本来ならNRN系列で放送されるものだが、沖縄ではその系列のラジオ沖縄が、ライバルの家電メーカーシャープの子会社(沖縄シャープ電機)提供の自社製作番組枠「シャープと共に」を放送していたため、当局で放送されることとなった。
- ^ 本来なら日立枠同様NRN系列で放送されるものだが、沖縄ではその系列のラジオ沖縄の都合(番組編成並びにENEOSの前々身である共同石油時代、そのメセナ活動であった『共石創作童話賞』(後の『ENEOS童話賞』、1973 - 2022年)創設当初から琉球放送と繋がりがあったとされる)により、当局で放送されることとなった。
- ^ IBC岩手放送・北陸放送も。
- ^ 理由は諸説あるが、仮に「4」を獲得していたらそれまで沖縄に存在しなかった日本テレビ系と誤解される恐れがあり、それを回避するためと考えられる。
- ^ 引き継いだのは全国でもNNN系の読売テレビだけ。
- ^ 系列外で「6」はANN系列準キー局の朝日放送テレビがアナログ親局6chを踏襲した他、ANN系列のメ~テレと北海道テレビが先発他局のアナログ親局5ch踏襲に伴いABC合わせの「6」となっているのみ。
- ^ 2015年2月までに、アナログ時代の34chにリパックされる。詳細は今帰仁テレビ・FM中継局#今帰仁中継局を参照。
- ^ 同日の深夜に再放送を実施。
- ^ 放送設備保全工事のために休止する場合もある。
- ^ 放送当日の『サンデーモーニング』は『アッコにおまかせ!』の後(12:54 - 14:48)に放送する。
- ^ SP版は別枠で放送。
- ^ 当番組番組内のコーナーの1つである「辞令は突然に…」の沖縄編では、東はるみが当局のアナウンサーとして着任するという設定で放送された。純然たる日テレ系列以外のアナウンサーが出演した放送局は当局のみ。
- ^ 『名探偵コナン』の劇場版は毎年放送。
- ^ 琉球朝日放送から移行。
- ^ 前述の『JNN九州・沖縄ドキュメント ムーブ』の放送がない時に放送。
- ^ 沖縄テレビでも放送。
- ^ この関係で、通常同時間帯にネットされたTBSテレビ制作の「ベルトクイズQ&Q」は15:00からの時差放送だったが、「こんにちは沖縄」終了後同時放送となった。
- ^ 単発番組(または番販番組)が放送局移動の例はいくつもあるが、レギュラー番組と番組出演者が同時に放送局移動は稀有な例である。
- ^ 「まるごと」枠移動前の1984年4月から9月までのTBS木曜8時枠の連続ドラマ2作品は後日集中放送となった。なお愛媛県の南海放送は1984年9月まで木曜20時台はTBS系同時ネットだったため、半年間のみ愛媛県と沖縄県では逆の事象が起きていた。
- ^ 2013年7月期の続編『斉藤さん2』は土曜ドラマ枠のスポンサードネットの関係上沖縄テレビで放送された。
- ^ 『千年血戦篇』は県内未放送。
- ^ 『ポリス×戦士 ラブパトリーナ!』以前の『ガールズ×戦士シリーズ』は県内未放送。
- ^ 15分縮小後の2022年5月以降は隔週新作で放送し、その翌週は再放送をするという措置が取られた。
- ^ 第1期はQABで放送。
出典
- ^ a b c d e f 日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑2023』コーケン出版、2023年11月30日、492頁。
- ^ “表彰番組・事績 | 一般社団法人 日本民間放送連盟”. www.j-ba.or.jp. 2023年10月1日閲覧。
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- ^ “トップページ”. RBC 琉球放送 (2021年8月12日). 2024年1月20日閲覧。
- ^ “第33回JNN企画大賞 共同売店のうた|RBC 琉球放送”. RBC 琉球放送 (2023年12月11日). 2024年1月20日閲覧。
- ^ “RBC琉球放送(公式)sunちゃん”. X(旧Twitter). 2024年1月21日閲覧。
- ^ RBC「応援!18の旅立ち」2023チャリティーキャンペーン
- ^ 日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑2021』コーケン出版、2021年12月10日、485頁。
- ^ 日本民間放送連盟『日本放送年鑑'78』洋文社、1978年12月、339頁。
- ^ 日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑'92』コーケン出版、1992年11月、463頁。
- ^ 日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑2003』コーケン出版、2003年11月、498頁。
- ^ a b ラジオ沖縄 編『ラ・ラ・ラ、ラジオ沖縄ローカルに徹せよ : ラジオ沖縄開局50周年記念』ボーダーインク、2010年、239頁。ISBN 9784899821861。
- ^ a b 『民間放送十年史』(日本民間放送連盟・1961年発行)、641頁「琉球放送 年表」。
- ^ 『民間放送十年史』(日本民間放送連盟・1961年発行)、「全国民間放送一覧」。
- ^ a b 軍用無線のブログ JA2GZU Suzuki Shinichi 2020年1月22日付「沖縄ではカラーテレビを持っていても、カラーは映らず、全て白黒であった歴史がある」(2023年11月1日閲覧)
- ^ 関東電友会東京無線支部「本土-沖縄間マイクロ回線工事の思い出 関東電友会東京無線支部会報誌むせん37号抜粋」山根 信義(PDF)(2023年11月1日閲覧)
- ^ アメブロ「ウオッチング ウェ~イブ」2022年9月19日付「沖縄へテレビ番組と電話を届けてい"た"マイクロ波回線電波塔の現役時代と沖永良部島の航空自衛隊基地」(2023年11月1日閲覧)
- ^ NHK年鑑'73 P.321
- ^ “琉球放送創立65周年 キャッチコピー、ロゴ決定”. お知らせ. 琉球放送 (2019年1月1日). 2024年1月31日閲覧。
- ^ RBC NEWS「琉球放送 放送局の心臓部テレビマスターを更新」2021/09/13 - YouTube
- ^ 『琉球放送十年誌』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
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- ^ 2024年3月31日まで89.0MHz。
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- ^ https://www.soumu.go.jp/soutsu/okinawa/hodo/2017/17_11_20-001.html AMラジオ放送のFM補完中継局に予備免許~親局クラスでは沖縄初~
- ^ ラジオ番組表 - 琉球放送、2022年3月23日閲覧
- ^ https://www.rbc.co.jp/tv/infomation/rbc%E3%82%B7%E3%83%8D%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB/
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- ^ “ノンスタ井上MCの地方創生番組始動、初回はレイクレが地元大阪をバズらせる”. お笑いナタリー. ナターシャ. (2021年12月5日) 2021年12月5日閲覧。
- ^ 自社ブログ
- ^ a b c d e f g h “「聴いた!見た!話した!アナウンサーたちの沖縄復帰」”. Twitter. 2022年5月16日閲覧。
- ^ a b NHKウィークリーステラ1996年5月17日号全国アナウンサー名鑑
- ^ “沖縄で戦後初のアナウンサー 島に響かせた希望の声 川平朝清さん(1)<復帰半世紀 私と沖縄>”. 琉球新報DIGITAL. 琉球新報社. (2021年6月8日) 2022年3月11日閲覧。
- ^ “ジョン・カビラ&川平慈英 琉球王朝に仕えた名家の末裔だった 父は戦後の沖縄初のアナウンサー”. Sponichi Annex. スポーツニッポン新聞社. (2022年11月24日) 2022年11月24日閲覧。
- ^ “ラジオDJ仲地昌京さん死去 RBCで懐メロ番組、極東放送でも 85歳”. 琉球新報DIGITAL. 琉球新報社. (2022年3月11日) 2022年3月11日閲覧。
- ^ [1]
- ^ 『きまぐれkitchen』公式HPより
- ^ a b c d RBC公式ブログ「小山康昭のだからやめられない!」(更新停止)の「写真もろもろ」(2007年3月17日記事). 2022年4月22日閲覧。
- ^ 返還前・KSBKのアナウンサーは季刊誌「RBC60」より。
- ^ SUNちゃんプロフィール
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