現代財閥創業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/08 23:46 UTC 版)
独立後の1946年ソウルで現代自動車工業社(修理業)、翌年、現代土建社(後、現代建設)を開業し、朝鮮戦争時には米軍の建設工事を受注した。朴正煕政権下で軍事基地、ダム、京釜高速道路、原子力発電所建設などの大規模プロジェクトを手がけ、1972年には韓国で初めて造船業に進出し、蔚山に現代造船所(後、現代重工業)を建設した。 1973年にオイルショックが起こると、オイル・マネーで潤う中東の建設工事に進出して外貨獲得に貢献した。1976年に受注したサウジアラビアのジュペール産業港海上タンカーターミナルは世界的にも知られている。鄭周永の手法は全く手がけたことのない事業でもまず安値で受注を獲得し、方法は後から考えるというものだった。当時の朴大統領と同じく「なせばなる」(朝: 하면된다/ハミョンデンダ/Hamyeon doenda/Hamyŏn toenta)の精神であった。 この間、現代自動車、現代建設、現代重工業、現代鋼管など現代グループの各社を次々に創業している。「1万5000トン級の経験しかないのに30万トン級の船を受注した。それから日本のK造船に研修員を送り込み設計図から道具まで盗んだ。盗んだ総量はコンテナ2台分になった」という、不法もいとわない強引な手法で成長。韓国経済の躍進とともに1980年代には造船が隆盛を迎え、現代重工業の造船所がある蔚山は現代グループの城下町となった。この頃、現代自動車はフォードの技術協力から小型車生産を巡って揉めていたが1970年代から日本の三菱自動車の久保富夫社長の厚意から韓国の自動車産業の基礎といえる技術供与を受けた。技術供与された現代自動車は自動車生産を本格化し、2012年には三菱自動車はヨーロッパ市場で劣勢に追い込まれて、生産工場を閉鎖している。こうして鄭周永は裸一貫から一代にして韓国最大の財閥オーナーとなった。またこれら企業の株式を寄贈して峨山財団を設立し、大規模な福祉事業も行うようになった。
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