海浜ニュータウン計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 09:58 UTC 版)
「日本の政治、経済、文化などの中心としてふさわしい首都圏の建設とその秩序ある発展を図る」ことを目的として1956年(昭和31年)に「首都圏整備法」制定され、千葉市が近郊整備地帯に指定された。東京大学名誉教授の井上孝(都市工学者)の研究室が基本構想をつくり、1967年(昭和42年)海浜ニュータウン計画を発表、稲毛、検見川、幕張に計画人口24万人の海浜ニュータウン建設が計画された。都心への通勤住宅市街地に留まらず、広域な自立都市の形成及び独立都市(衛星都市)への展開も視野に入れており、経済発展と急速な首都近郊のスプロール化に対して都市を計画的に誘導し、良好な住宅地として整備することを目指した。その後、独立都市の計画として「幕張新都心(A地区)基本計画」を発表し、業務中枢機能の東京一極集中に歯止めをかけることを目的に、住宅中心の土地利用計画を大幅に見直し、業務機能をもつ新都心を建設することを決定。現在の幕張新都心を構成する業務研究・タウンセンター・住宅・海浜公園などの計画要素もこの頃出揃う。 「千葉県新総合五ケ年計画」では、千葉圏内における進学率の上昇、学生数の増加に対応して幕張新都心に教育文化機能を充実させる「学園のまち」構想を示した。1981年(昭和56年)より順次、大学、高校などの文化・教育施設が立地し、文教地区を形成した。また、首都高速湾岸線や東関東自動車道、JR京葉線などのインフラ整備が急ピッチで進む。
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