長野電鉄
河東鉄道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/25 23:37 UTC 版)
「国鉄3030形蒸気機関車」の記事における「河東鉄道」の解説
現在の長野電鉄の前身である河東鉄道が導入したのは、1923年川崎造船所兵庫工場製の2両(製造番号966, 967)である。これらは11, 12と付番されたが、1927年の電化によって不要となり、12が南武鉄道に譲渡後、1944年の戦時買収によって国有鉄道籍となった。同機は仮番号の133としてしばらく使用され、その後正式に3015形 (3015) と改称された。この機関車は川崎造船所製の芸備鉄道F形と全く同形であり、本来2920形として処理されるべきものであった。 3015は国有化後の1949年に常総筑波鉄道に譲渡され、筑波線で使用された。常総筑波鉄道では、当初は2代目5、後年2代目9に改められ、1953年に廃車された。 一方の11は、1927年に小湊鉄道に譲渡され、同社でもこの番号のまま使用された。この機関車は1937年に廃車のうえ、北海道の日曹炭鉱天塩砿業所専用鉄道に譲渡(1939年11月入線)され、1953年6月まで使用された。
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河東鉄道
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「国鉄1200形蒸気機関車」の記事における「河東鉄道」の解説
本形式を最初に発注したのは、1921年の河東鉄道で1両(製造番号744)である。同社は1922年に2両(製造番号745, 746)を1923年に1両(製造番号894)を増備して、計4両が1形(1 - 4)となった。同社は1923年には2両を発注したが、より大型で車軸配置2-6-2(1C1)の11形2両を購入することにし、1両(製造番号897)をキャンセルした。その結果、製造番号897は湊鉄道に振り向けられた。 河東鉄道は、1926年に電化を行って長野電鉄に改称したが、それと同時に4を佐久鉄道に譲渡し、さらに1929年には1, 2も同社に譲渡した。3はしばらくの間予備として残ったが、これも1934年に加悦鉄道に譲渡されて同社の4となり、長野電鉄からは消滅した。
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