歴史学への道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/06 09:13 UTC 版)
1926年、彼は教職を辞してサイゴンに行くためにダナンに入った。ダナンへの途上、彼は普光寺に軟禁されているファン・ボイ・チャウに面会し、クアンナム省では中圻民表院(Viện Dân biểu Trung Kỳ 、Chambre des Représentants du Peuple de l'Annam)の代表であるフイン・トゥック・ハンHuỳnh Thúc Khángと会った。アインはハンを助けて「ティエンザン(民の声)」紙を作り編集員になった。彼は1926年にベトナム革命党に参加し、次いで同党が新越革命党と改称した際(1928年7月)に総書記になった。 1928年、「観海叢書Quan hải tùng thư」を立ち上げて、ヴォー・リエム・ソンVõ Liêm Sơn、チャン・ディン・ナムTrần Đình Nam、ファン・ダン・ルーPhan Đăng Lưuといった知識人と協力して科学思想や唯物史観を紹介する啓蒙書を出版した(『経済学説史』『婦人運動』『人類史』『宗教とは何か?社会とは何か?民族とは何か?』など)。この時期に彼はヴェタック(Vệ Thạch:精衛という伝説上の鳥の意)という號を使うようになった。 1929年7月、政権に逮捕されて1930年初頭まで収監される。以降、辞書学から文化の研究に関心を移し、文化・文学・歴史の研究を開始した。8月革命の後、ダオ・ズイ・アインは文科大学史学科で教えるよう招かれた。1946年の全国文化大会では運動委員となった。抗仏戦争期には第4戦区(Liên khu IV)の文芸支会で活動した。
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