たちばな‐の‐はやなり【橘逸勢】
橘逸勢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/10 04:59 UTC 版)
橘 逸勢(たちばな の はやなり)は、平安時代初期の貴族・書家。参議・橘奈良麻呂の孫。右中弁・橘入居の末子。官位は従五位下・但馬権守、贈従四位下。書に秀で空海・嵯峨天皇と共に三筆と称される。
- ^ a b 『橘逸勢伝』
- ^ 鐘江宏之『律令国家と万葉びと (全集 日本の歴史 3)』140頁
- ^ a b c d e f 『日本文徳天皇実録』嘉祥3年5月15日条
- ^ 『続日本後紀』承和9年7月17日条
- ^ 『続日本後紀』承和9年7月18日,20日条
- ^ 『続日本後紀』承和9年7月23日条
- ^ 北山茂夫『平安京 日本の歴史4』(中公文庫、1973年)、210p
- ^ 『続日本後紀』承和9年7月28日条
- ^ 『日本文徳天皇実録』嘉祥3年5月15日条
- ^ a b c d e “12 貴族が流された国伊豆”. 静岡県立中央図書館. 2022年1月4日閲覧。
- ^ 『続日本後紀』承和9年9月3日条
- ^ 『続日本後紀』嘉祥2年10月26日条
- ^ 『日本文徳天皇実録』斉衡元年7月26日条
- ^ a b 『続日本後紀』嘉祥2年10月26日条
橘逸勢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/01 03:05 UTC 版)
空海と同じ遣唐使船で唐へ渡った儒生。空海には及ばないながらも書や詩文に長け、日本の留学生の中でも屈指の英才。しかし狷介な性格で、常に棘のある言動を口にしなければ気がすまず、他者との折り合いをうまくつけられずに周囲から煙たがられている。空海に対してはその学殖に驚嘆し、さらに思想的存在として既存のどの思想とも交わらずに超然としているその姿を見、己の孤独感と照らし合わせて奇妙な親近感を抱いて親しくつきあうようになる。
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橘逸勢(たちばな の はやなり)
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「応天の門」の記事における「橘逸勢(たちばな の はやなり)」の解説
弘法大師と同時期に遣唐使として留学し、文字の美しさに定評のある書家。承和の変の首謀者として伊豆へ配流になる途上で死去し、都では怨霊として恐れられた。
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