構想~製作
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 07:00 UTC 版)
「特捜刑事マイアミ・バイス」の記事における「構想~製作」の解説
1982年のウォール・ストリート・ジャーナルに『税金の申告漏れの20%がマイアミ・デイド郡に集中している』という記事が掲載された。その記事を読んだ脚本家・プロデューサーのアンソニー・ヤーコヴィックは数字の誤植かと思いながらも計算してみると、マイアミだけでアメリカの平均的な都市の40倍の収入をもたらしているという結果が出た。この数字は麻薬に関わる犯罪組織の暗躍を意味すると理解した。 ヤーコヴィックはマイアミについて調査を始め、マイアミを舞台にした ”Gold Coast” という警察ドラマの脚本を書き始めた。実際にマイアミを訪れておとり捜査をする刑事にヒアリングをすると、捜査には犯罪者から押収した品を使用していることを知った。アメリカ連邦法によれば警察は犯罪に関わった個人の財産を押収でき、また犯罪防止の目的ならその押収品を使用できるとあり、ロレックスやアルマーニを身に付けフェラーリを乗り回す潜入捜査官のコンセプトに繋がった。 「マイアミ・バイス」が生まれた経緯としては、『ヒルストリート・ブルースの会議中、出席していたNBCの社長がふと思い付いた"MTV Cops"という2つの単語を紙ナプキンに走り書きした。近くにいたヤーコヴィックがそれを受け取り「マイアミ・バイス」のアイデアが生まれた…』という逸話が有名である。 この「NBCの社長」とは、当時NBCエンターテインメント部門の社長だったブランドン・タルティコフと思われるが、ヤーコビックによれば “Gold Coast” の執筆を始めた頃はまだタルティコフと面識がなく、どこかの芸能記者が自分の記事に注目を集めようと考えた作り話だろうとのことである。 ブランドン・タルティコフは32歳の若さでNBCのエンターテインメント部門を任されるやヒット作(ヒルストリート・ブルース、ファミリータイズ、コスビー・ショー、チアーズ、ナイトライダー、ロー&オーダー、特攻野郎Aチーム、他多数)を次々に送り出し、低迷していたNBCを全米ネットワークのトップにのし上げた実力者であった。MTVに対しては、単なる音楽番組ではゴールデンタイムのドラマには対抗出来ないとしながらも、テレビドラマとミュージックビデオのコラボレーションを示唆するような発言をしていたことから、MTVを強く意識していたことが窺える。MTV Cops” の逸話はまったく的外れではないと言えよう。 ヤーコヴィックが書いた"Gold Coast" はその後 "Miami Vice" と改名されパイロットフィルムの製作が決まった。企画時の仮題はバイスの拠点であり隠れ蓑でもある『ゴールドコースト海運』として残された。 エグゼクティブ・プロデューサーには当時40歳のマイケル・マンが抜擢された。これまでの映画やテレビドラマにおける優れた演出や脚本、中でも「ザ・クラッカー/真夜中のアウトロー」(1981)、「ザ・キープ」(1983)で見せた映像表現、シンセサイザーを多用した音楽、リアリティを重視する銃撃やアクションシーンなど、彼独特のセンスを取り入れたい意向があった。マイケル・マンはテレビ映画「ジェリコ・マイル/獄中のランナー」(1979)で高い評価を得たおかげで映画監督のオファーが数多く入っていたため、再びテレビシリーズに戻るとは考えにくかった。が、「ザ・キープ」が興行的に失敗していたこともあり、彼のマネージャーのジェフ・バーグは「とにかく読んでみろ」と台本をマンに手渡した。マンはその当時を回想し、実に素晴らしい台本で直感的に成功すると思ったと語っている。また、自分で監督すると作品に対する疑念でいっぱいになるが、プロデューサーなら常に客観的な立場にいられるので自分の思い通りの作品が作れるだろうと考えたという。 当初はアンソニー・ヤーコヴィックもエグゼクティブ・プロデューサーとしての役割を担っていたが、映画製作に取り掛かるため第6話までで退いた。その後はマイケル・マンに任されたが、2年後には「刑事グラハム/凍りついた欲望」(1986)や「クライム・ストーリー」に移ってしまい直接関わったのはシーズン2までだったという。 シーズン3からは「ヒルストリート・ブルース」の脚本に参加したことがあるディック・ウルフを招き入れ、シーズン4ではウルフがエグゼクティブプロデューサーとして番組を仕切った。
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