最初のバク研究者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 10:37 UTC 版)
「八丈小島のマレー糸状虫症」の記事における「最初のバク研究者」の解説
明治維新後の日本では、風土病と考えられる地域特有の疾患が日本各地で多数確認され始めており、新しい西洋医学を学んだ多くの研究者や医師らにより調査や研究が行われ始めていた時期であった。八丈小島の「バク」も、それらのひとつとして一部の医療関係者の間で知られ始めていた。しかし「八丈島に隣接する小島に古くより「バク」と呼ばれる奇病があり、島民の多くが発症する」という話が人づてに伝わるだけであった。 八丈小島は「鳥も通わぬ」と言われた絶海の孤島八丈島の、さらに属島という地理的条件もあり、日本国内各所に散在する他の風土病流行地のように現地調査に赴くことが、交通事情の悪い当時は困難であった。 「バク」と呼ばれたこの風土病について、近代医学的観点による現地調査が初めて行われたのは1896年(明治29年)2月のことで、調査を行ったのは当時の内務省衛生局の中浜東一郎である。中浜東一郎の実父は、幕末の1841年(天保12年)に土佐(現、高知県)から漁に出かけて遭難し、漂流中にアメリカの捕鯨船に救出されて渡米して近代科学を学び、日本へ帰国した後に日米和親条約の締結に関わったジョン万次郎(中浜万次郎)である。 中浜東一郎はジョン万次郎の長男として1857年(安政4年)に江戸で生まれ、1881年(明治14年)に(旧)東京大学医学部を卒業すると、福島、岡山、金沢の各医学校の教授を務めた。当時の日本では公衆衛生に関する知識が求められており、中浜は1885年(明治18年)、内務省の命令により衛生学研究のためドイツへ留学し、日本帰国後は内務省衛生局の技師を務めた。1896年(明治29年)4月に内務省を退官後、東京衛生試験所所長、初代東京市医師会長などを歴任した。 中浜が「バク」の調査のため八丈小島を訪れたのは、内務省技師を退官する2か月前の1896年(明治29年)2月で、中浜とともに調査に同行したのは、内務省技手の上村行彰、東京府庁より派遣された塩田虎尾の計3名であった。一行は同年2月5日に横浜港を出航し、丸3日をかけて八丈島の港へ到着したものの、目的地である八丈小島に着岸可能な小型船は風や波に影響を受けやすく、折しも2月は冬季の季節風の吹き荒れる時期であり、強風が何日も続き出航できずに八丈島で足止めを余儀なくされた。天候がやや安定して八丈小島へ渡れたのは、八丈島到着から10日も経過した2月18日であった。 中浜らは波が穏やかになった間をついて、八丈島からの海上距離が近い八丈小島の宇津木村の岩場に上陸すると、早速同村での調査を開始し、その後、宿泊予定である島の反対側の鳥打村へ歩いて移動した。島の向こうへ行くこの道は断崖絶壁に設けられた狭隘な悪路であり、足を踏み外すと海面へ落下してしまう危険な道であったという。 中浜はこの悪路の道中で「バク」と呼ばれる病態をはじめて目にした。八丈小島を含む伊豆諸島では荷物を頭上に乗せて運ぶ習慣があり、これはおもに女性の仕事であった。鳥打村までの険しい小路を数名の女性が、頭に重そうな荷物を乗せているのにもかかわらず、平地と同じように平然と歩いていた。そして彼女たちの下腿部の皮膚は著しく肥大した、いわゆる象皮病と呼ばれるものであり、これが島で「バク」と呼ばれる病態のひとつであることを中浜は確認する。 鳥打村で宿泊した翌日の2月19日に同村でバクの調査が行われた。しかしそもそも当時、東京から遠く離れた小さな島へ内務省技師の職に就く医師が訪れるようなことは、医者のいない離島に暮らす人々にとって願ってもないことであった。中浜ら3名は診察を願う島民の要望に応え、バク病に限らず一般患者の診察および持参した薬品の投与を行った。島民から聞くところによると、この島で過去に行われた医療行為は、種痘と思われるものを1872年(明治5年)と1887年(明治20年)に1回ずつ施されただけだという。 当時、八丈島と横浜を結ぶ定期船は2か月に1便しかなかった。再度天候が荒れ八丈島に戻れなくなると、横浜へ戻る定期船に乗り遅れる恐れがある。そのためやっとの思いで渡った八丈小島であったが、急いで調査を終えなければならなかった。鳥打村での調査や診察を終えた中村ら3名は、風雨の中を前日の悪路を宇津木村へ戻り急いで乗船し無事に八丈島へ戻ったが、翌日(2月20日)から八丈付近の海域は強風が吹き続け、八丈小島への渡船はその後数日間にわたって途絶えたという。21日以降は八丈本島での調査を行い数例の象皮病を確認したが、これは後年バンクロフト糸状虫によるものと判明している。中村ら3名が横浜へ到着したのは3月8日で、結局は1か月をかけて八丈小島と八丈島の調査を行ったことになる。
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