バンクロフト‐しじょうちゅう〔‐シジヤウチユウ〕【バンクロフト糸状虫】
バンクロフト糸状虫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 10:37 UTC 版)
「八丈小島のマレー糸状虫症」の記事における「バンクロフト糸状虫」の解説
バンクロフト糸状虫 Wuchereria bancrofti (Cobbold, 1877)は、バンクロフト糸状虫症の病原体となる寄生虫であり、世界中のリンパ系フィラリア症の90パーセント以上が本虫によるものである。 1863年(文久3年)、フランス人医師のデマルクワイ(ドイツ語版)が、パリにおいて陰嚢水腫のハバナ人の水夫の血液と陰嚢に溜まった水を顕微鏡で調べた際、その中に小さな細長い糸状の虫体(幼虫)を見出した。この糸状虫の幼虫(ミクロフィラリア)が世界で最初に確認されたフィラリア虫である。フィラリアという名前は、この虫を発見したデマルクワイが「細くて糸状のもの」を表すフランス語のFilaire(フランス語版)(電球のフィラメントも同じ語源である)から、この虫を「ミクロフィラリア」と記述したことが、この寄生虫の名前と病名の由来である。 3年後の1866年(慶応2年)にブラジルの医師オットー・エドワード・ワッシャー(英語版)がブラジルの大西洋沿岸に面した港町バイーアで患者の白い尿からミクロフィラリアを見つけ、さらに1872年(明治5年)にはインドのカルカッタでイギリス人医師のルイスが患者の血液からミクロフィラリアを発見した。 これらの研究により象皮病や陰嚢水腫の患者はミクロフィラリアを持つという共通点が分かり始めた。 1800年代後半当時、中国南部のアモイでマラリアの研究をしていたスコットランド出身のパトリック・マンソン(英語版)は、マラリア媒介実験で使用した蚊が溺れて沈んだ水の中から偶然ミクロフィラリアを発見したことでフィラリアに興味を持ち、後述するミクロフィラリアの夜間定期出現性 nocturnal periodicityを1879年(明治12年)に発見する。その後、研究者たちはフィラリアをヒトに感染させる媒介者はおそらく蚊であろうと考え、さまざまな検証を重ねたが、しばらくの間は確証を得られないままであった。 フィラリアが蚊によって媒介されることを証明したのはオーストラリアの寄生虫学者ジョセフ・バンクロフト(英語版)である。バンクロフトは当時の世界中で確認されていた1,600種の蚊の中から、アカイエ蚊の一種がミクロフィラリアの主要媒介蚊であることを実証し突き止めた。バンクロフトはミクロフィラリアの形態も詳しく観察し、色は乳白色で糸のように細長く滑らかに湾曲し(日本語の平仮名の「し」のような形状)、頭部がやや肥大していることや、性別があり雄より雌のほうが大きいなど、ミクロフィラリアの形態を顕微鏡の倍率を上げ可能な限り詳細にスケッチした。こうしてミクロフィラリア、すなわちフィラリア症は蚊を媒介者としてヒトに感染する寄生虫病であることが解明された。 バンクロフト糸状虫の学名である Wuchereria bancrofti は以上の経緯から、オットー・エドワード・ワッシャー O. E. H. Wuchererと、ジョセフ・バンクロフト Joseph Bancroftの両名にちなんで命名された。
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