映画界デビューと「おしどり夫婦」
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1946年(昭和21年)4月6日、神奈川県に生まれる。 学歴、前歴等は不明だが、満24歳となった1970年(昭和45年)7月28日に公開された『覗かれた痴女乱行』、同年8月25日に公開された『セクシー・プラン』といった大蔵映画が製作・配給した小川欽也の監督作に杉 夕子の名で出演し、映画界にデビューした。同年9月29日に公開された同じく『浮気の四角関係』で初主演した後、葵映画が製作・配給した『女体調教師』、国映が製作した『明日なき暴行』の2作の渡辺護の監督作に出演、翌1971年(昭和46年)、『セクシー・プラン』や『浮気の四角関係』で共演した12歳上の先輩俳優、椙山拳一郎(1934年 - )と結婚する。したがって同年7月に公開された『欲情』(監督姿良二)を最後にしばらく休業する。 休業初期の1972年(昭和47年)、『現代猟奇暴行史』(監督若松孝二)に主演したほかは、満29歳となり1975年(昭和50年)10月28日に公開された「小川卓寛」こと小川欽也の監督作『銀行2億円事件 性男と淫女たち』で杉 佳代子として復帰するまで、専業主婦として椙山を支えた。杉が結婚・休業に入った直後の1971年11月、老舗であり大手五社の一社であった日活が成人映画路線に全面的に舵を切り、「日活ロマンポルノ」(1971年 - 1988年)を開始するが、杉は、1976年(昭和51年)9月25日に公開された『セミドキュメント 非行女高生』(監督中村幻児)を皮切りに、代々木忠・真湖道代夫妻が経営したワタナベプロダクション、あるいは渡辺護がおもに監督した電映商事や現代映像企画あるいはフィルムワーカーズ、木俣堯喬が経営したプロダクション鷹といった独立プロダクションの下請け作品に出演する、という形で日活配給作品にも出演した。4年のブランクがあったが、復帰以降は「杉夕子」時代以上に多くの作品に出演し、小林悟が「松本千之」の名で監督し同年8月17日に公開された『引き裂かれた制服』に出演して以降、松竹系の成人映画番線である東活の作品にも杉江 良子の名で多数出演した。 『日本映画俳優全集・女優編』の杉の項を執筆した小田克也は、杉を「おとなの女の艶っぽいムードが出せる女優として個性美を買われ」「しとやかな中産階級の人妻やバーのマダム、女教師といった役柄が多く」と評した。なかでも新人発掘の名手である渡辺護が手がけた美保純のデビュー作『制服処女のいたみ』(1981年9月25日公開)、同じく可愛かずみのデビュー作『セーラー服色情飼育』(1982年11月15日公開)では、いずれも主人公である美保、可愛の母役を演じている。夫の椙山とは業界の「おしどり夫婦」として知られ、共演作も多かった。 1982年(昭和57年)に行われた第3回ズームアップ映画祭で助演女優賞を受賞した。 1985年(昭和60年)を最後に、椙山・杉夫妻ともに出演作が途絶える。夫の杉山は、その26年後の2011年(平成23年)6月19日には、特集上映「60年代まぼろしの官能女優たち PART II」のゲストとして、ラピュタ阿佐ヶ谷の舞台に立ったが、杉は表舞台には姿を現していない。
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