日本初のコンタクトレンズ作成とは? わかりやすく解説

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日本初のコンタクトレンズ作成

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/06 08:41 UTC 版)

水谷豊 (医師)」の記事における「日本初のコンタクトレンズ作成」の解説

水谷コンタクトレンズ取り組んだきっかけは、円錐角膜悩む男子高校生との出会いであった1949年11月名古屋大学病院診療をしていた水谷のもとに、1人高校生とその母親訪れた高校生診察してみると、右眼左眼ともに0.1満たない視力円錐角膜という症状で、通常の近視等とは違い眼鏡では矯正できない状態であった水谷処置方法困ったが、「成績落ち神経質になっている。家庭暗くなっている」という親子悲痛な訴えに、ドイツ医学書に『ガラス製のコンタクトレンズ円錐角膜患者視力矯正できた』という記事があったことを思い出し、「似た物を作ってみる」という返答をしたのであった。 こうして、水谷コンタクトレンズ作り取り組むことになった。まずコンタクトレンズ材料として、当時出回り始めていたプラスチックを使うことを思いつくプラスチックならガラスのように割れることもなく安全性が高いと考えた(ちょうどこの頃アメリカでプラスチック製コンタクトレンズ作られ始めたが、戦争直後占領下にあった時代そうした情報水谷のもとには届いていなかった)。次に知り合い歯科医から、型を取ってプラスチック製義歯作る技術、すなわちプラスチック成形する技術教わったその後通常の医師としての勤務終えた後、毎夜自宅台所100度近い熱湯使ってプラスチック成形しレンズ切り出す作業悪戦苦闘する日々続いたこの間水谷大学病院の職を辞し水谷眼科診療所開業コンタクトレンズ作り心血を注いだ。 そして約1年半後の1951年春、ようやくコンタクトレンズ完成現代違い上下のまぶたで押さえ前提により直径2.4cmと大きいため軽い麻酔をかけながらも、患者高校生約束通りコンタクトレンズ装着させることができた。裸眼右眼0.02、左眼0.04だったのが矯正視力は、右眼0.9、左眼0.4という驚き結果で、患者視力検査表を暗記しているのではないか疑ったほどだったという。これが、日本最初にコンタクトレンズ完成した瞬間であった最初の使用となったこの高校生は、後に公務員となり無事に暮らしたという。彼は「光のあたる明る世界飛び上がったような感動」だったと語っている。

※この「日本初のコンタクトレンズ作成」の解説は、「水谷豊 (医師)」の解説の一部です。
「日本初のコンタクトレンズ作成」を含む「水谷豊 (医師)」の記事については、「水谷豊 (医師)」の概要を参照ください。

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