日本の生産の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 00:38 UTC 版)
日本にブルーベリーが導入されたのは1951年で、当時の農林水産省北海道農業試験場が米国からハイブッシュ・ブルーベリー(比較的冷涼な気候を好む栽培種)を導入したのが始まりである。一方、暖地に対応するラビットアイブルーベリーは1962年に農林水産省によって導入された。このラビットアイ系品種は1962年にジョージア州から導入され、1968年より東京都小平市で経済栽培が始まった。1971年、長野県にハイブッシュ系品種が導入され、栽培に適した高冷地のある群馬県、新潟県、山梨県、宮城県などを中心に各県で生産されるようになった。東北地方では、岩手県の岩手大学で行われた公開講座により経済栽培が広まった。石川県鳳珠郡能登町の旧柳田村域では、土地の事情からラビットアイ系品種が栽培されている。 1990年以降、パン食文化の浸透や健康ブーム(健康食品としての宣伝効果のほか、外国産農産物に対する不安視)などを受け、関東近郊に摘み取り目的の観光農園や産地が急増した。関東地方でブルーベリー栽培が盛んになった理由は、元々小平市で試験栽培が行われたことで栽培ノウハウを持っていたこと、比較的寒冷で過湿でないこと、関東ローム層(火山灰土)はブルーベリーが好む酸性土壌であり、砂礫も含んでいるため水はけも良いこと、また社会的な理由として、摘み取り果樹園での栽培が主流であること、出荷が難しく鮮度が重要視されることから大消費地に近いことへの優位性、その他休耕地の活用目的、灌木のため、子供にも果実を手に取れるなど観光農園として適性であったことなどが理由となっている。
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