日本における更紗の受容
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 03:08 UTC 版)
日本では室町時代以降、中国(明)との勘合貿易によって金襴、緞子(どんす)など、明の高級染織品が輸入された。こうした輸入染織品は当時の日本で貴重視され、茶人により「名物裂」(めいぶつぎれ)と称されて茶道具を包む仕覆などに利用された。インド産の更紗裂も名物裂と同様、茶人らによって珍重され、茶道具の仕覆、茶杓の袋、懐中煙草入れなどに利用された。こうした更紗裂は室町時代から日本へ輸入されていたものと推定されるが、更紗の日本への渡来が文献から確認できるのは17世紀以降であり、南蛮船、紅毛船などと称されたスペイン、ポルトガル、オランダ、イギリスなどの貿易船によって日本へもたらされたものである。中でも、東インド会社を設立し、インドとの貿易が盛んであったオランダやイギリスの貿易船によって日本へもたらされたものが多かったと推定される。「さらさ」の文献上の初見は、1613年(慶長18年)、イギリス東インド会社の司令官ジョン・セーリスの『日本来航記』に見えるものである。対日貿易開始のため日本を目指したセーリスは、1613年、クローブ号で肥前国の平戸に入港。この時、火薬、鉄砲、ワインなどとともに更紗を平戸の領主に贈っている。 こうした、室町時代から近世初期にかけて日本に渡来した更紗裂は「古渡り更紗」と称されて特に珍重されている。彦根藩主井伊家にはこうした古渡り更紗の見本裂が多数伝来し、「彦根更紗」と通称されている。「彦根更紗」は現在、東京国立博物館に約450枚が収蔵されているが、作風から見るとその大部分はインド更紗である。 1778年(安永7年)には更紗の図案を集成した『佐良紗便覧』が刊行されており、茶人、武家など富裕な階層に独占されていた更紗が、この時代には広く普及し始めたことがわかる。現に、近世の風俗図屏風などには更紗の衣装を着用した人物が描かれたものが散見される。
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