旅籠の組合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 08:43 UTC 版)
江戸時代の中頃になると、強引な客引きや飯盛り女を嫌ったり、一人旅をしたりする行商人などから、安心して泊まれる宿が欲しい、という要望が増えたため、各地で旅籠による組合が出来た。 例えば、浪花組(後の浪花講)では、主要街道筋の真面目な優良旅籠を指定し、加盟宿には目印の看板をかけさせるとともに、組合に加入している旅人に所定の鑑札を渡して宿泊の際に提示させるようにした。また、『浪花組道中記』『浪花講定宿帳』を発行し、各宿駅ごとに講加盟の旅籠や休所の名を掲載するとともに、道中記としても役立つ道案内を兼ねた情報を掲載した。また明治に入ると参勤交代の消滅から宿場町の本陣、脇本陣が廃業に追い込まれた。この中で、東海道興津宿(静岡市清水区)の脇本陣「水口屋〈みなぐちや〉」は、庶民に宿泊の対象を代え、品川宿から伊勢に至る優良旅館の組合「一新講社」をつくった。また、伊藤博文、山縣有朋、西園寺公望も古くから歌枕の清見潟とも呼ばれる風光明媚な興津を度々訪れて「水口屋〈みなぐちや〉(一碧楼 水口屋旅館)」へ投宿をした。他方、「真誠講」といった団体も「改正浪花講」「一新講社」等と併設されているが、旅で派生した手荷物を安全に運ぶ団体である。この真誠講は、現在の日本通運の前身である。
※この「旅籠の組合」の解説は、「旅籠」の解説の一部です。
「旅籠の組合」を含む「旅籠」の記事については、「旅籠」の概要を参照ください。
- 旅籠の組合のページへのリンク