復員後の戦争画制作・展覧会開催とは? わかりやすく解説

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復員後の戦争画制作・展覧会開催

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/20 07:02 UTC 版)

滝口岩夫」の記事における「復員後の戦争画制作・展覧会開催」の解説

復員後滝口舞台美術映画看板テレビ美術デザインイラストなど多方面活躍した戦後の日本必死生き抜く毎日を送るうちに、いつしかメベリーとの約束過去のものとなっていった。 1981年昭和56年)のある夜、滝口夢にメベリーが現れ助け求め、その夢は七晩続いたこれを機に滝口はメベリーとの約束を守るため、再び戦争画を描くことを決心戦時中記憶のみを頼りラバウルでの激戦紙上再現し当時の画を復元していった。すでに年齢60歳過ぎていた上、戦争による後遺症抱えていた滝口にとって、それは執念作業であった。やがて完成した戦争画の数は、数千に昇った。 1984年昭和59年)、それらの戦争画市民公開し戦争知らない世代人々戦争の実態伝え、平和を訴えるため、絵画展開催した郷里高松市皮切りに、北は北海道から南は九州まで、1999年平成11年)までに約60開催され多く若い世代来場した。滝田戦争画克明な描写により来場者戦争悲惨さ訴えるものであり、来場者からは戦争酷さ悲しみ辛さ実感平和な今こそあらため当時見つめ直すことの大切さなどの感想寄せられた。 1997年平成9年)には滝口半生が、三枝義浩による漫画語り継がれる戦争の記憶シリーズ雑誌『週刊少年マガジン』掲載)の1作『戦火約束』として漫画化された。読者の子たちから多く反響寄せられこれを機に絵画展でも子供たち関心高くなった。しかしこの頃滝口戦争の後遺症の悪化により車椅子生活を余儀なくされ、絵筆を持つ力すら失われていた。 2000年平成12年6月、満80歳で死去した没後も妻の美代子息子健一郎が日本各地絵画展開催し続け、妻の美代子戦時中内地惨状伝えるために執筆した半生記2008年平成20年)に『みよちゃん戦争と平和』(ぶんがく社)として出版されるなど、その遺志家族たち受け継がれている。

※この「復員後の戦争画制作・展覧会開催」の解説は、「滝口岩夫」の解説の一部です。
「復員後の戦争画制作・展覧会開催」を含む「滝口岩夫」の記事については、「滝口岩夫」の概要を参照ください。

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