当線旅客輸送の経緯とは? わかりやすく解説

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当線旅客輸送の経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 04:32 UTC 版)

鹿島臨海鉄道鹿島臨港線」の記事における「当線旅客輸送の経緯」の解説

1976年7月22日、国と神栖町2005年から神栖市)と茨城県により、新東京国際空港現成国際空港)への航空燃料暫定輸送協定締結された際、同町議会決議尊重して、国は旅客輸送実現速やかに努力するという条文含まれた。これに伴い同日運輸省航空局長から鹿島臨海鉄道旅客列車運行依頼があり、同年12月3日には運行区間や駅設置本数などを具体的に示した依頼が行われた。これに対し貨物輸送目的とする鹿臨港線旅客輸送条件きわめて悪いという理由鹿島臨海鉄道はその「実施躊躇していた」(出典ママ)が、1977年3月25日航空局長にあてて概ね2つ内容要望書提出した航空燃料輸送終了時点検討行い収支改善見込みがなく、地域交通機関として十分に機能を果たす見込みない場合は、旅客営業廃止のために航空局新東京国際空港公団特段配慮を受ける。 地元要請航空燃料輸送終了後旅客営業を行う場合は、航空局空港公団などにより欠損補填について特別の配慮を受ける。 その後鹿島臨海鉄道株主総会定款改正し同年7月25日に「本来は鹿島臨海工業地帯物資を運ぶ貨物専用線鹿島臨港線」(出典ママ)で、航空局長からの依頼従った設置運行本数による旅客営業開始した。 しかし、1日3往復僅少の上鹿島臨港線内の神栖駅鹿島港南駅市街地から離れ、同区間を走るバスよりも割高だったことなどもあり、5年4か月旅客営業間中1日平均輸送人員は27.3人、営業最終年比較多く利用客があった1983年度を除くと17.6人と、利用実績は非常に低調だった。 そのため、1983年8月6日航空燃料輸送終了すると、鹿島臨海鉄道はすぐに鹿島臨港線での旅客輸送廃止認可得て同年11月30日限り旅客輸送廃止した2003年鹿島臨海鉄道刊行した鹿島臨海鉄道三十年史でも、当線の旅客輸送に関する記述を「航空燃料暫定輸送に伴う旅客輸送」とし、1985年から旅客営業続ける「大洗鹿島線」とはその位置付け明確に区分して同社本意による旅客営業ではなかったことを強く示す記述行っている。 なお、同時期の旅客営業実績以下の通り。 年 度運転日(日)輸送人員(人)1日平均輸送人員(人)自社運賃収入千円1日平均運賃収入(円)特記事項1978年昭和53年249 5,232 21.0 1,262 5,069 開業 1979年昭和54年366 4,901 13.4 1,262 3,447 1980年昭和55年365 6,298 17.3 1,336 3,660 1981年昭和56年365 6,125 16.8 1,502 4,115 1982年昭和57年365 7,472 20.5 1,592 4,360 1983年昭和58年244 23,330 95.6 3,394 13,910 旅客営業廃止 合計1.95453,35827.310,348 5,296 出典:『鹿島臨海鉄道三十年史』、43p。

※この「当線旅客輸送の経緯」の解説は、「鹿島臨海鉄道鹿島臨港線」の解説の一部です。
「当線旅客輸送の経緯」を含む「鹿島臨海鉄道鹿島臨港線」の記事については、「鹿島臨海鉄道鹿島臨港線」の概要を参照ください。

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