弥生墳丘墓と前方後円墳のあいだ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/30 01:37 UTC 版)
「纒向型前方後円墳」の記事における「弥生墳丘墓と前方後円墳のあいだ」の解説
「古墳」の定義としては、 高い墳丘をもつ。 さまざまな形式の棺と、それを囲む石室などがある。 各種の副葬品をもつ。 埋葬施設は墳頂からあまり深くないところにある。 の4点がかつて考古学者後藤守一によって提唱され、それが一般的にも受け入れられてきたが、近年の発掘調査の進展によって、弥生時代の方形周溝墓や墳丘墓も、ほぼこの規定に該当することが明らかになってきた。寺沢による「纒向型前方後円墳」の提唱も、この定義からすれば不適切なものではなく、もし、これを弥生墳丘墓に含めるならば、本来は、別の観点からの「古墳」の定義が必要である。ただ、弥生時代の墓制は、北部九州・山陰・山陽・近畿・東国の各地域において、吉備における特殊器台・特殊壺をともなう共通儀礼や山陰における四隅突出型墳丘墓の築造など地域的な共通性をともないながらも多様な形態と内容を有していたのに対し、古墳時代の墳墓は、前方後円墳、前方後方墳、円墳、方墳など階層性をともなって墳形が集約され、埋葬施設や副葬品においても全国規模で画一化の傾向が顕著となる。 「墳丘墓」の概念を弥生時代に導入した近藤義郎は、前方後円墳について「首長霊継承儀礼の場」との見解を示し、それがこんにちの定説となっている。近藤は、弥生墳丘墓と前方後円墳との相違点として、 墳形・墳丘規模において「飛躍」がみられること 埋葬構造として長大な割竹形木棺と竪穴式石室を有すること 一定の規範にもとづく副葬品において中国鏡、とくに多数の三角縁神獣鏡をともなうこと などを掲げている。墳丘規模は、長さも高さも前方後円墳のほうが格段に大きく、墳形は、墳丘墓は方形が主で円形は少ないが、古墳においては円形が主となる。近藤は、これら個々の要素のいくらかは、すでに弥生墳丘墓にもみられるが、前方後円墳はそれを「飛躍的に継承」したものであり、それゆえ「創造的産物」と呼びうるものである、としている。 弥生時代の墳丘墓は地域による個性が顕著であるのに対し、前方後円墳は全国的な普遍性をもって現れたことは、諸首長が共通の墳墓祭祀をもつようになったことを意味するものと考えられる。その意味で、弥生墳丘墓と前方後円墳の築造とのあいだには、政治的には隔絶した差異が認められる。 このようななかで、纒向型前方後円墳あるいは纒向型墳丘墓をどう位置づけるかは難しい問題をはらんでいるが、古代史学者の吉村武彦は、「これらの墳墓の発掘が進んでいない現在、慎重な対応が求められるが、墳丘の企画性や築造技術の一貫性は認めなければならないだろう」としている。
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