年寄として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 15:29 UTC 版)
2015年2月12日、年寄:鳴戸を襲名。2017年4月1日に、自身の内弟子2人を連れて佐渡ヶ嶽部屋から独立し、鳴戸部屋の師匠になった。ヨーロッパ出身力士としては初の師匠となった。先代佐渡ヶ嶽から「大関になったから独立してもいいぞ」と言われ、それが叶った形となった。 来日前にブルガリア国立体育大学を休学(事実上2年時中退)したが、ブルガリアの大学在籍時の単位数が認められる形で2015年4月に日本体育大学体育学部武道学科第3学年に編入。同時に日体大相撲部の臨時学生コーチに就任した。 2017年2月、日本相撲協会の業務との両立が難しくなり日体大を中退。同年3月、日体大は相撲界での功績をたたえ、大学独自のシステムで特別に卒業認定し、体育学士号を授与した。 部屋を開いてから2020年3月まで、部屋持ちの年寄としては最年少であった。1980年代生まれでは第1号である。現在は元蒼国来の荒汐親方が荒汐部屋を継承した為、最年少の座を譲った。 2019年1月31日、部屋の20歳の三段目力士が未成年の弟弟子に柔道の締め技を掛けるいじめ行為が発覚。三段目力士は同様の行為を同月までに10回行い、被害者の弟弟子は失神したこともあるという。三段目力士はいじめ行為を大筋で認め、暫定的に同年1月場所の出場を自粛。協会の芝田山広報部長(元横綱・大乃国)によると、暴力を受けた弟弟子や保護者は警察に被害届を出す意向はなく、協会に対応を一任している。行為が悪質であったことから三段目力士は2月8日の協会のコンプライアンス委員会の答申によって「引退勧告相当」となり、同日鳴戸は三段目力士の引退届を提出、協会はこれを受理した。鳴戸は部屋を留守にしている時間があったことから監督責任を問われ、3ヶ月の10%減給の処分を受けた。被害者とその両親から寛大な処分を望むように伝わっているため、三段目力士の実名公表は避けられた。 2019年4月に鳴戸部屋を墨田区内の仮住まいから移転。6月8日に部屋開きが行われ、鳴戸は「第二の人生がスタートした」と感慨に浸った。熱心なスカウト活動で弟子を増やし、5月の新弟子検査では受験者13人のうち6人が鳴戸部屋だった。同年7月場所では鳴戸部屋の同期3人が序ノ口で史上初となる3人全勝の優勝決定戦にもつれ込み、巴戦を制した元林が鳴戸部屋初の優勝力士となった。 現役時代に痛めた膝は、弟子に胸を出すために引退後に幹細胞治療で改善した。治療以降は膝の脱臼も水がたまることもなく稽古ができているという。 2022年3月30日に協会は新職務分掌を発表し、鳴戸が勝負審判に就任したことが明らかとなった。 2022年5月場所で弟子の欧勝馬が幕下優勝を果たし、翌7月場所での新十両昇進が決定。鳴戸部屋から初めての関取誕生となった。
※この「年寄として」の解説は、「琴欧洲勝紀」の解説の一部です。
「年寄として」を含む「琴欧洲勝紀」の記事については、「琴欧洲勝紀」の概要を参照ください。
- 年寄としてのページへのリンク