平等派
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 09:44 UTC 版)
平等派(びょうどうは、英:Levellers)は、キリスト教のプロテスタントの一教派で、清教徒革命(イングランド内戦)期のイングランド王国およびイングランド共和国で活発な動きを見せた急進的ピューリタンの一派である。急進的社会改革を主張し大衆や軍に浸透、彼等と連動して改革実現を目指したが、危険視した政府と軍首脳部に弾圧され衰退した。別名の水平派(すいへいは)、英語読みのレヴェラーズでも表記されている。
- ^ a b c d e 松村、P416。
- ^ 浜林、P169 - P173、澁谷、P75 - P76、P101 - P102、今井、P94 - P95。
- ^ 浜林、P159 - P162、P173 - P177、澁谷、P102 - P106、今井、P95 - P103、清水、P102 - P116。
- ^ 浜林、P173 - P183、澁谷、P106 - P117、今井、P104 - P119、清水、P116 - P121、P123 - P125、P127。
- ^ 浜林、P187 - P190、P195 - P198、澁谷、P117 - P129、今井、P123 - P124、P128 - P130、P146 - P152、清水、P153、P158 - P161。
- ^ 浜林、P196、今井、P189 - P190、清水、P161 - P162、P215、P217、P226、P230。
平等派
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 17:07 UTC 版)
ジョン・リルバーンが率いる平等派(水平派とも)は主にロンドンと軍から支援を受けていた。1649年の声明書『人民協定』では、「より民意を反映した透明な議会を二年周期で開会すること」「誰にでも公平に利用できる法の改革」「宗教の寛容性」を要求した。より民主的な社会を求めたにもかかわらず、女性や最下階級の人々は選挙権の拡張要求に含まれなかった。 平等派はランプ議会に王政からの改善がほとんど見られないと考え、その失望をデモやパンフレット、暴動などで示した。政府への深刻な脅威になるほどの規模ではなかったにもかかわらず、ランプ議会に恐れられ、1649年に平等派対策の対反逆法(Treasons Act)が可決されるに至った。
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平等派
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 04:21 UTC 版)
分離派の1つ。元独立派左翼で兵士やロンドンの一般市民からなり、平等な政治体制の実現を求めて社会契約や普通選挙導入を主張した。レヴェラーズ(水平派とも)と呼ばれ、教義より政治的主張を重視した。ジョン・リルバーンら論客のパンフレットにより盛り上がりを見せ、革命の徹底を主張した。当初は独立派と近かったものの、革命後の共和政(イングランド共和国)以降は対立し、1650年から弾圧に遭って衰退した。
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