常陸国分寺跡とは? わかりやすく解説

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常陸国分寺跡

名称: 常陸国分寺跡
ふりがな ひたちこくぶんじあと
種別 特別史跡
種別2:
都道府県 茨城県
市区町村 石岡市府中
管理団体 石岡市(大12・1213)
指定年月日 1922.10.12(大正11.10.12)
指定基準 史3
特別指定年月日 昭和27.03.29
追加指定年月日
解説文: 現國分寺ヲ中心トシ隣接民有宅地ヲ含メル南北長約百間北邊又同ジク百間南邊長約六十間ノ地域内ニ土壇礎石ヲ存シ舊規ノ見ルヘキモノアリ此ノ地域ヨリ奈良朝時代特徴アル古瓦ヲ出ス
国分にあり、現国分寺の寺域内に金堂跡・講堂跡の土壇南北中軸線上並び、又西廻廊跡のものと認められる礎石存し、その配列の状態により、旧仁王門位置附近中門跡推定せられる講堂跡の北方、及び西方一部に湟跡が存し東西100間、南北百間の旧寺域限界を示すものと認められる。この地域より、奈良時代属す鐙瓦宇瓦・專等が出土している。国分寺跡として保存状況きわめて良好であり、旧規見るべきものがあり、学術上特に価値が深い。
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常陸国分寺跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 22:30 UTC 版)

常陸国分寺」の記事における「常陸国分寺跡」の解説

創建時僧寺跡は、現在の国分寺重複して位置する寺域東西270メートル南北240メートル伽藍として中門金堂講堂一直線上に配置し中門左右からでた回廊金堂接続する七重塔位置寺域東側推定されるものの明らかでなく、塔心礎は現在は国分寺境内移し保存されている。そのほか現国分寺の本堂西側では鐘楼基壇が見つかっている。 講堂中門跡

※この「常陸国分寺跡」の解説は、「常陸国分寺」の解説の一部です。
「常陸国分寺跡」を含む「常陸国分寺」の記事については、「常陸国分寺」の概要を参照ください。

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