七重塔
名称: | 七重塔 |
ふりがな: | しちじゅうのとう |
名称(棟): | |
名称(ふりがな): | |
番号: | 1283 |
種別1: | 近世以前/その他 |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
指定年月日: | 1954.03.20(昭和29.03.20) |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 基 |
代表都道府県: | 福岡県 |
都道府県: | 福岡県太宰府市朱雀2 |
所有者名: | |
指定基準: | |
管理団体名: | 太宰府市 |
管理団体住所: | 福岡県福岡県太宰府市観世音寺一丁目1番1号 |
管理団体指定年月日: | 1975.06.28(昭和50.06.28) |
構造形式: | 石造七重塔(相輪を除く) |
時代区分: | 鎌倉後期 |
年代: | 鎌倉後期 |
解説文: |
七重塔
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/23 07:22 UTC 版)
七重塔(しちじゅうのとう)は、仏塔の形式の一つ。層塔と呼ばれる楼閣形式の仏塔のうち、七重の屋根を持つものを指す。日本では、近世までに建造された大型木造七重塔で現存するものは無い。
- ^ “道鏡ゆかり、70m級の七重塔跡…土台と断定”. 読売新聞. (2017年2月9日). オリジナルの2017年2月12日時点におけるアーカイブ。 2017年2月11日閲覧。
- ^ “相国寺七重大塔”. 関連資料. 臨済宗相国寺派. 2021年4月21日閲覧。
- ^ 宮川, 佐知子 (2016年7月8日). “金閣寺:敷地内から装飾品出土 七重塔「北山大塔」部材か”. 毎日新聞 2017年2月11日閲覧。
- ^ 原田正俊「相国寺の創建と足利義満の仏寺法会」桃崎有一郎・山田邦和 編著『室町政権の首府構想と京都-室町・北山・東山-』(文理閣、2016年) ISBN 978-4-89259-798-5
- ^ 冨島義幸「相国寺七重塔とその伽藍」桃崎有一郎・山田邦和 編著『室町政権の首府構想と京都-室町・北山・東山-』(文理閣、2016年) ISBN 978-4-89259-798-5
- ^ 「再建の宿願 刻む相輪(古今東西万博考)――1970年・大阪 東大寺の七重塔再現」『日本経済新聞』、2019年5月28日。オリジナルの2021年8月5日時点におけるアーカイブ。
- ^ “七重塔復元へ基本構想 奈良・東大寺 整備は東塔地区から”. 産経新聞. (2013年4月26日). オリジナルの2021年4月22日時点におけるアーカイブ。 2017年2月11日閲覧。
- 1 七重塔とは
- 2 七重塔の概要
七重塔
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 07:23 UTC 版)
塔跡1は3間四方。武蔵国分寺の七重塔は『続日本後紀』によると835年(承和2年)に落雷によって焼失したとされる。その後、845年(承和12年)に男衾郡の大領であった壬生吉志福正(みぶのきしふくまさ)が私費による再建を申し出て許可されている。問題はこの時の再建の位置である。従来、七重塔跡は1箇所と考えられていたが、2004年(平成16年)に地中のレーダー調査を実施したところ、従来知られていた塔の跡から西に55mの位置に仏塔跡と考えられる遺構が発見され、現在発掘調査が進んでいる。発掘担当の研究者グループは従来の塔跡を「塔跡1」、新しく見つかった塔跡を「塔跡2」と仮称して研究を行っているが、塔跡1からは創建時のものと思われる瓦が検出され、塔跡2からはより新しい時期に焼かれたと思われる瓦が検出されているので、年代的には塔跡2の方が新しいと推測されている。しかし再建時の七重塔が塔跡2の位置に存在したのか、それとも再建七重塔も塔跡1に建てられたのかを確定出来る史料は見つかっていない。また塔跡2に確認される土台のうえに塔が実際に完成したかどうかも検証されていない。
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