文化財選集 |
武蔵国分寺跡 (東京都)
武蔵国分寺跡
区分
史跡
所在地
東京都国分寺市西元町・東元町
資料一覧
解説
天平13年(741)の国分寺・尼寺創建の詔に基づき鎮護国家を祈念して設置された国分寺の一つで,近年の発掘調査の結果,寺域は東西8町・南北5町でその中央北寄りに僧寺,南西隅に尼寺が配置していることが確認された。僧寺は,東西165メートル,南北139メートルを一本柱塀で区画した中に金堂・講堂・東西両僧坊・鐘楼・経蔵が所在し,また区画外に塔を配置している。尼寺は,金堂・尼坊・一本柱塀等が確認されている。なお,僧寺と尼寺の間に幅12メートルの推定東山道が確認されている。
国指定文化財等データベース |
武蔵国分寺跡
| 名称: | 武蔵国分寺跡 |
| ふりがな: | むさしこくぶんじあと |
| 種別: | 史跡 |
| 種別2: | |
| 都道府県: | 東京都 |
| 市区町村: | 国分寺市西元町・東元町、府中市栄町 |
| 管理団体: | 国分寺市(大12・12・13) |
| 指定年月日: | 1922.10.12(大正11.10.12) |
| 指定基準: | 史3 |
| 特別指定年月日: | |
| 追加指定年月日: | 平成18.07.28 |
| 解説文: | 聖武天皇ノ朝ニ置カレタル國分寺國分尼寺ニ次キテ曩ニ指定セラレタルモノノ外當時ノ土壇礎石及土壘等ノ殘存シテ其ノ舊規ノ多ク觀ルニ足ルモノヲ擇ビタリ S54-6-049武蔵国分寺跡.txt: 武蔵国分寺跡は、大正11年10月12日に塔跡・金堂跡・講堂跡・北院跡・西院跡等が、昭和51年12月22日には東僧房跡が一部追加指定された。昭和54年は、その後の発掘調査によって明らかになってきた西院跡(国分尼寺跡推定地)の一部を追加して指定し、保存を図るものである。 H10-12-041[[武蔵国分寺跡]むさしこくぶんじあと].txt: 武蔵国分寺跡は、国分寺市の東南部に位置し、天平13年(741)の国分寺・尼寺創建の詔に基づいて諸国に設置されたもののひとつである。その変遷は、創建期(8世紀代)・整備拡充期(9世紀代、七重塔再建)・衰退期(10世紀代から11世紀代)の3期に分けられる。また、遺跡の調査は昭和31年以降実施され、その結果、東西8町、南北5町の寺地とその中央北寄りの僧寺地域(約4町四方)および南西隅の尼寺地域(約1町半四方)の配置と、僧寺西辺を通過する東山道等が確認されている。 今まで、僧寺地区と尼寺地区の中心部分を保存してきたが、寺地全体の保存は十分ではない。今回、僧寺寺域を画する築地の部分と尼寺の伽藍の一部を追加して指定し、その保存を図ろうとするものである。 |
| 史跡: | 武市半平太旧宅および墓 武田氏館跡 武田耕雲斎等墓 武蔵国分寺跡 武蔵国府跡 武蔵府中熊野神社古墳 段の塚穴 |
ウィキペディア |
武蔵国分寺跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/20 17:32 UTC 版)
武蔵国分寺跡(むさしこくぶんじあと)は、東京都国分寺市西元町・東元町に所在する古代寺院跡。武蔵国の国分寺の遺跡である。国の史跡に指定されている。
尼寺区域は調査が終わっており歴史公園として整備されている。一方僧寺区域は整備事業の一環で発掘調査中である。史跡指定範囲は時代が下るごとに広がり、現在は11haにおよんでいる(東山道武蔵路を含まず)。なお、推定される寺域は僧寺金堂を中心に東西1,500m、南北1,000mに範囲におよぶとみられる。
- 1 武蔵国分寺跡とは
- 2 武蔵国分寺跡の概要
- 3 研究史
- 4 保存
- 5 関連項目
固有名詞の分類
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