川西飛行機甲南製作所
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「本庄村 (兵庫県武庫郡)」の記事における「川西飛行機甲南製作所」の解説
川西航空機は、日中戦争が始まると、昭和14年(1939年)甲南製作所の設置を決定した。 当時の青木海岸は田園地帯と松林と葦萩の茂る砂浜であった。ここに土を入れて海岸線を埋め立て、用地を確保した。昭和14年(1939年)11月17日、川西飛行機は兵庫県知事に「公有水面埋立並ニ民有地地上及浚渫願」を出し、本庄村字青木地先公有水面92,547m2を埋め立て、字青木地先45,039m2の砂浜を中心とした民有地に、電動式サンドポンプを装備した浚渫船で送砂して埋めた。予算は130万円。海岸線に平行して幅400m、海岸線から約150m水面に突き出し、砂浜を含め一辺265mの四角形とする計画であった。 青木海岸の埋め立てが始まったのは1941年1月17日からで、5月24日から建物の建設が始まった。極めて大規模な海軍の生産力拡充命令には莫大な費用が必要であり、国家からの特別の助成を受けるために、宝塚製作所とともに土地・建物・機械が「兵器等製造事業特別助成法」の適用を受けた官設民営工場となる事が決まった。かくして1942年4月1日、一部竣工して甲南製作所の生産が始まった。 敷地面積は約23万m2、総建物面積は約19万m2。芦屋川河口から西へ約1.3 km、大阪湾に突き出た埠頭状の土地である。東は海技専門学院・高等商船学校神戸分校があった。主要建物は全て大きな平屋建ての、近代的鉄骨造で、天井の高い、長い鋸歯状の屋根で、不燃性の軽量薄板で覆われていた。大型飛行機の最終組み立て工程を行う総組み立て工場は約44,700m2あり、現在は川西航空機の後身である新明和工業甲南工場として使われている。 甲南製作所では二式飛行艇と極光が製作されていた。軍需工場であったため、昭和20年(1945年)5月21日、B-29の精密爆撃を受け、目標を逸れた爆弾は近隣市街地にまで降り注いだ。
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