川西飛行機甲南製作所とは? わかりやすく解説

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川西飛行機甲南製作所

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/15 01:54 UTC 版)

本庄村 (兵庫県武庫郡)」の記事における「川西飛行機甲南製作所」の解説

川西航空機は、日中戦争が始まると、昭和14年1939年甲南製作所設置決定した当時青木海岸は田園地帯松林と葦萩の茂砂浜であった。ここに土を入れて海岸線埋め立て用地確保した昭和14年1939年11月17日川西飛行機兵庫県知事に「公有水面埋立並ニ民有地地上浚渫願」を出し本庄村青木地先公有水面92,547m2を埋め立て、字青木地先45,039m2の砂浜中心とした民有地に、電動式サンドポンプ装備した浚渫船で送砂して埋めた予算130万円海岸線平行して400m海岸線から約150m水面突き出し砂浜含め一辺265mの四角形とする計画であった青木海岸の埋め立て始まったのは1941年1月17日からで、5月24日から建物建設始まった極めて大規模な海軍の生産拡充命令には莫大な費用が必要であり、国家からの特別の助成を受けるために、宝塚製作所とともに土地・建物機械が「兵器製造事業特別助成法」の適用受けた官設民営工場となる事が決まったかくして1942年4月1日一部竣工し甲南製作所生産始まった敷地面積は約23m2、総建物面積は約19m2。芦屋川河口から西へ約1.3 km大阪湾突き出た埠頭状の土地である。東は海技専門学院高等商船学校神戸分校があった。主要建物全て大きな平屋建ての、近代的鉄骨造で、天井の高い、長い鋸歯状屋根で、不燃性軽量薄板覆われていた。大型飛行機最終組み立て工程を行う総組み立て工場は約44,700m2あり、現在は川西航空機後身である新明和工業甲南工場として使われている。 甲南製作所では二式飛行艇極光製作されていた。軍需工場であったため、昭和20年1945年5月21日B-29精密爆撃を受け、目標逸れた爆弾近隣市街地にまで降り注いだ

※この「川西飛行機甲南製作所」の解説は、「本庄村 (兵庫県武庫郡)」の解説の一部です。
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