宮城刑務所服役中
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 03:12 UTC 版)
「マブチモーター社長宅殺人放火事件」の記事における「宮城刑務所服役中」の解説
練馬三億円事件で懲役13年の有罪判決が確定した小田島は、1992年(平成4年)2月18日以降、宮城刑務所に服役した。 小田島は服役直後の1992年3月12日、所内の印刷工場に配属された際、同じ工場の同じ班に配属された後述の男Mと知り合った。小田島は1995年(平成7年)12月14日、Mと同房になった。 これを機に2人は親しくなり、周りの同房者に対し「前は会社の社長宅に押し入り、銀行から金を持って来させて、3億円を強奪した。海外で豪遊して帰って来た」と、練馬三億円事件について繰り返し自慢するような発言をするようになった。また、出所後について「資産家の家を狙って、10億円ぐらいの大金を手に入れる。今度は証拠隠滅のため、家の人間を皆殺しにし、火を点けて逃げる。その後は、偽名のパスポートで海外に高飛びする」などと、将来の犯行計画について話したりしていた。 そして小田島は、犯行のターゲットとして「会社として利益が出ていて、ワンマン経営で、大金をある程度自由に動かせるオーナー社長を狙おう」と考えた。小田島は獄中で雑誌などを読んで会社の内容などを調査し、多数の会社の持ち株率・借金状態・住所・電話番号など、各種のデータをノートに書き込み、情報を収集した。小田島はその結果、多数の候補の中でも会社の経営状態が良く、社長の持ち株率も高いマブチモーターを一番の有力候補と考えた。 前述の受刑者Mとともに犯行計画を話し合ったり、計画を記したノートを見せ合うなどするうちに、小田島はMに「入手した金を折半しよう」などと持ち掛け、犯行計画に誘うようになった。最初は軽く受け流していたMも、小田島から何度も誘われるにつれて本気になり、1996年(平成8年)年末頃までに小田島に対し、小田島と犯行計画を実行する意思を伝えた。 その後も小田島はMと、上記犯行計画について何度も話し合った上で、Mに「先に出所したら、犯行の謀議に使用するアパート・犯行に使用する自動車・資金などを準備しておいてくれ」と依頼した。
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宮城刑務所服役中
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「マブチモーター社長宅殺人放火事件」の記事における「宮城刑務所服役中」の解説
前述の懲役刑により、1989年10月26日から、受刑者Mは宮城刑務所に服役することになった。 Mは当初、刑務所内の印刷工場に配属されたが、1992年2月18日、前述のように小田島が同刑務所に収監されてきた。 1992年3月12日、Mと同じ印刷工場の同じ班に小田島が配属された。その後の1995年12月14日、Mは小田島と同房になり、自然に親しくなっていった。 小田島は、他の同房者たちに対し、「以前、資産家の家に押し入って人質を取り、3億円を奪い、海外で豪遊して帰ってきた」などと繰り返し自慢したり、出所後について「金持ちの社長の家を襲い、億単位の金を奪う。証拠を残さないよう、家人を皆殺しにし、家に火を点ける」「成功したら他人名義の偽造パスポートを作って海外に行き遊んで暮らす」などと、将来の犯行計画について話したりしていた。多くの者は、小田島の話を非現実的な話と考え、軽く聞き流しており、Mも当初は半信半疑だった。 しかし、Mは小田島の話に「すごいですね」など、適当に話を合わせているうちに、小田島から、マブチモーターをはじめ、多数の会社の名称・住所・取締役の名前・資本金・株価・借金状況・大株主の持株比率など、様々な情報を、雑誌などを読んで研究しつつ、それらを詳細にメモしたノートを見せられた。 これによりMは、小田島が「大金を動かすことができるワンマンの経営者を狙っていること」「会社の負債や持株比率などから、マブチモーターが有力候補であること」「同社からは10億円くらい取れそうであること」など、具体的な話をされるようになった。そして研究熱心な小田島に感心したMは、小田島に 「一緒に(犯行を)やらないか。奪った金は折半しよう」などと持ち掛けられ、「やります」と答えたが、互いに出所は先の話だったため、この時点ではまだ本気で考えてはいなかった。 しかし、Mはその後も、小田島から繰り返し、上記ノートを見せられたり、事件の計画について話をされ、何度も「一緒にやろう」と誘われたことから、「小田島が本気で自分と一緒に犯行を行おうと考えている」と思うようになった。Mは当時、「自分のように殺人事件を起こし、10年以上も刑務所に服役する人間は、世間から冷たく見られる」と思い、出所後の生活に夢も希望も持てずにいたが、小田島から「億単位の大金を手に入れる事件をやろう」と誘われたことで、「小田島と事件を起こして大金を得れば、好きな旅行や女遊びに金を使うことができるようになる」と考えるようになり、この際、小田島を信頼して勝負に出るしかないと考えた。 Mはその結果、1996年末頃までには小田島とともに犯行計画を実行する意思を固め、小田島に対しその旨を伝えた。 その後もMは小田島と、印刷工場の暗室で作業している時や食事中などに、犯行をどのような方法で実行するかについて、「マブチモーター社長など、東京周辺の資産家を狙い、家に押し入って家人を脅し、銀行などから大金を用意させ強奪する。その後、証拠を隠滅するため、家人を皆殺しにして家に放火する」ことなどを、何度も話し合った。 1997年(平成9年)12月頃、小田島と別の房に移ることが分かると、Mは小田島と出所後の連絡先を交換するとともに、小田島から「Mが先に出所したら、犯行に使用するためのアパート・自動車・資金100万円を用意しておいてくれ」と頼まれた。Mは1997年12月12日、小田島とは別の房に移り、翌1998年(平成10年)3月23日以降、働く工場も別になったため、それ以降は出所まで、刑務所内で小田島と会うことはなくなった。
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