完成当時のデータ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 22:00 UTC 版)
開業日:1890年11月11日当初11月10日と報じられたが、来賓の都合で翌11日に繰り延べられた。エレベーターの日(11月10日)はこの当初の報道にちなんでいる。 高さ:173尺(約52メートル)当初は220尺(約66.7メートル)と報じられたが、1921年(大正10年)に行われた震災予防調査会の再調査では避雷針も含めて173尺とされている。この再調査の数値には避雷針の高さは含まれていないとする文献もある。なお、日本建築学会正員の堀口甚吉が1968年に発表した論文では、この再調査では天井ふところ分の10 - 15尺(約3 - 4.5メートル)、入り口の石段の高さ2尺(約0.6メートル)、避雷針の高さ12尺(約3.6メートル)が含まれておらず、これに建物基礎底面からの高さ20尺(約6メートル)を合わせると、当初の発表通り約220尺になるとしている。 建坪:37坪(122.31平方メートル) 設計:ウィリアム・K・バルトン(William K. Burton、英国人技師、お雇い外国人) 入場料:大人8銭、子供4銭 構造:10階まで煉瓦造り、11・12階は木造1階は入り口階、2階から7階は諸外国の物品販売店(計46店舗)、8階は休憩室、10階から12階は眺望室(望遠鏡設置)。 7馬力の電動機で10人乗りのかご2基が1階から8階を昇降する、日本初のエレベーターが設置されたが、開業当日より故障が頻発。翌1891年5月には使用中止になり、東京電燈との間で訴訟沙汰となる。エレベーター運転停止命令が出たため、客足を確保するのに階段の壁面に花街から選ばれた芸者達の写真を貼り付け、日本初の美人コンテスト(とされる)「東京百美人」が開催される。 各階の内部には3個の電灯を点じて、176個の窓から光を放った。また、11階には1個当たり5000燭光のアーク灯2個が設置された。
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