か‐がい〔クワ‐〕【花街】
はな‐まち【花街/花町】
花街
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/17 15:09 UTC 版)
花街(花町とも書く)(かがい、はなまち[1])とは、芸者屋、遊女屋が集まっている地域を指す名称である[2]。花柳(かりゅう)という別称もある[3]。売春防止法(1957年施行)までは多くの花街に芸妓と娼妓の両方がいたが、今日花街と呼ばれている地域は芸妓遊びのできる店を中心に形成される区域である[4]。なお、料理屋・待合茶屋・置屋(芸者屋)がまとめて「三業」と称されるため、花街のことを「三業地」ともいい、地域により待合茶屋と置屋で「二業地」と呼ぶ[5]。
- ^ 古い文献には「花街」を「くるわ」と読ませている場合がある。[要出典]
- ^ 花街とは コトバンク
- ^ 花柳界 語源由来辞典
- ^ a b 西尾久美子 「伝統文化産業におけるキャリア形成と制度 -京都花街の芸舞妓の事例-」
- ^ “「三業地」『世界大百科事典』〈第2版〉”. 平凡社/日立ソリューションズ・クリエイト. 2015年12月9日閲覧。
- ^ 近代東京における花街の成立 西村亮彦・内藤廣・中井祐、東京大学院論文, 景観・デザイン研究講演集, 2008/12
- ^ 西山松之助編 「遊女」東京堂出版
- ^ 竹中聖人 「書評 加藤政洋著『花街-異空間の都市史』」
- ^ a b 三業地(読み)サンギョウチ コトバンク
- ^ 松井・窪田(2012)、2,407頁
- ^ 花街の象徴 「見番」新装 60年ぶり舞台も復活 タウンニュース八王子版 2018年8月2日
- ^ 花街の真正性と差異化の語り 竹中聖人、立命館大学Core Ethics Vol. 3、2007年
花街
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/11 16:31 UTC 版)
横浜にある中立地帯。鎧を作る女達の店がある。女は合戦をしない代わりに、合戦の支度、負傷者の手当などを行う。花街の中の店の一つ「バビロン(BABY・ALONE)」に、侍の強さを競わせる施設「迷宮」がある。 周子(しゅうこ) 「バビロン」の鎧師。花街一の鎧師であり、「源氏」専属で鎧を作っていた。「源氏」の鎧を他の人間に着せることは許さない。一角獣から「源氏」が死んだことを知らされている。気に入った相手にしか鎧を作らず、「迷宮」にチャレンジさせ記録を競わせる。 弁慶と肉体関係を結び、第二部では妊娠が発覚する。
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花街
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/01 07:53 UTC 版)
女将 花街にある店の一つの女将。作中に名前はない。 リーリア 女将の店で働く少女。花街で起こった悲劇の元凶の一人とも言える。 チカ 女将の店で働く少女。 イエ 女将の店で働く少女。病を発症したが、イシュカの力で治った。
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花街
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 17:38 UTC 版)
梅梅(メイメイ) 「一晩の酌で一月の銀がとぶ」といわれる最高級妓楼「緑青館」でトップ3を務める三姫のひとり。 鳳仙の妹分で、面倒見はいいが少々短気。 元々鳳仙の禿であった縁だが、羅漢が来た際は殆ど彼女の部屋に通される。囲碁・将棋に関しては2人が師匠。羅漢が鳳仙を見つけられるよう手を回し、身請けが決まった際には自身の恋が破れたことを自覚しながらも喜んでいた。 白鈴(バイリン) 緑青館三姫のひとりで最年長。 自由恋愛主義者で心の隅で「白馬の王子様」を待ちわびている。舞踏が得意。色欲が強く、客が少ない時は男衆どころか禿にまで手を出すが、母性もまた強い。 出産経験はないが母乳が出る体質で、かつては猫猫の親代わりとなって育てたこともある。筋肉フェチで李白に興味を示す。 女華(ジョカ) 緑青館三姫の中では最年少だが、彼女との会話についていければ科挙に合格すると言われるほどの才女。 やはり猫猫の姉貴分だが白鈴と違い男嫌い。 猫猫の性格は自分に近いと感じ、猫猫の壬氏に対する感情・態度に彼女なりの助言をする。 やり手婆 緑青館をしきる老婆。実態としては雇われ店長で持ち主は他にいるが、持ち主も頭が上がらない。 金に敏く、儲けにならないことにはいい顔をしない。猫猫を妓女にするため芸事を仕込もうとしてきた。 昔は売れっ子妓女だったらしい。 固有名詞ではなく作中における役職としての「やり手婆」で、他の楼閣の「やり手婆」も登場はする。 鳳仙(フォンシェン) 緑青館の元妓女で猫猫の母親。碁と将棋が強く、碁なら羅漢にさえ勝つ腕前の持ち主。羅漢が顔を認識できる数少ない内のひとり。 猫猫を産んだことで妓女としての価値が下がり、安い仕事に落とされた末に梅毒のために廃人同様となって離れに隔離されていた。 妊娠は元々彼女の狙い通りだった様子。当時自身の価値が上がり羅漢は3か月に1度しか会いに来れなくなっており、彼と会う頻度を上げられるもしくは身請けしてもらいやすくなるメリットもあったが、羅漢が羅門の失脚に伴う処置で父親から遊説を命じられるという時機が悪いときに重なり、3年も会いに来れなくなるという予想外のことに錯乱し、羅漢に送るために自身と赤子だった猫猫の小指を切り落としている。 猫猫の画策で羅漢に身請けされるも、翌年の春先に他界する。 羅漢は本気で愛しており、身請けした妓女は本来妾扱いにも関わらず、彼女を実父に正妻として会わせようとしていた。また、彼女との棋譜を本として大量出版・販売する。 Web版では猫猫の幼少時、羅漢の帰都前に身請けされることなく亡くなっている。 右叫(ウキョウ) 緑青館の男衆の中でも古株の一人の四十路前の男。 子供好きで面倒見がよく、緑青館に来たばかりの左膳や趙迂の面倒も率先して見ていた。猫猫自身も幼いころ肩車をしてもらった記憶がある。 趙迂(チョウウ) 子一族の生き残りの少年だが、毒を煽った後遺症で記憶を無くし半身に麻痺が残る。 猫猫が薬屋で引き取る形で監視下に置かれているため自由なようで難しい立場にある。もちろん本人に自覚はなく、出掛けようとする猫猫にしばしば連れていって欲しいと駄々をこねたりするなど、彼女には甘えてばかりいる。 記憶を無くす前から絵が得意だったようで、緑青館前で似顔絵を描いて小銭を稼いだりしている。 才能があるとして、有名絵師の元に通いながら技法などを勉強している。 左膳(サゼン) 国の北部の農家の出身。 食いっぱぐれて子氏の砦で衛兵として働いていたが、幽閉されていた老医師の食事や身の回り面倒を見るなど基本人がいい。 子氏討伐の際趙迂と翠苓に頼まれる形で拷問部屋から猫猫を救出しており、その際の猫猫の行動から都での再会時には彼女を「蛇娘」と呼んでいた。 その縁と老医師から文字や薬草の基本を教わっていたため、猫猫から薬屋の仕事を引き継ぐ。 趙迂のこともあり、「左膳」は前の名前に未練がないからと都に来てから新しく名乗り始める。子氏の砦にいた関係で趙迂の正体を知っており、子一族および砦にいた兵士は表向きは全員処刑されているため、彼自身子氏に雇われていたとバレたらただでは済まないため静かに薬屋をやっている。 克用(コクヨウ) 顔半分が疱瘡の痕に覆われているが、十分に美形で通る医者の青年。 それまで住んでいた村を呪師によって追い出され、おのぼり感覚で都へ行こうとしていたところを猫猫たちに拾われる。 自身の不幸な生い立ちを明るく幼い口調で喋るため全然不幸に見えないが、西洋出身の男性医師に医学を教わったため、猫猫も知らない知識をたくさん持つ。 普段は都近郊の小さな村で偏屈な老医師と暮らしているが、猫猫の宮廷出仕後は月に数度左膳の面倒を見に緑青館に訪れてくれている。
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花街
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 07:23 UTC 版)
講武所があったことから、神田の花街も「講武所」と呼ばれた。幕末から明治にかけてできた花街で、大正9年の警察の記録には、89人の芸者がいたとされる。講武所(今の外神田1丁目あたり)の北、2~3丁目あたりが花街で、明治10年創業の新開花(元・開花楼)は当時から続く店と言われている。
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「花街」の例文・使い方・用例・文例
- 色町, 花街.
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