女性と馬
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/25 20:33 UTC 版)
「サイドサドル」も参照 家族全員が中世の店舗や農場の経営を多くの場合助けていたので、娘が父の生業を学び、妻が夫と生業を共にするのは珍しいことではなかった。多くのギルドが未亡人の加入資格を認めていたので、彼女らは夫の事業を引き継いでいたとみられる。このシステムのもと、一部の女性は馬関連の稼業で訓練を受け、装蹄師や鞍職人として働いた女性の記録がある。多くの人手を必要とする農場では分業の徹底は不可能で、女性は大抵の場合男性と一緒に(自分の農場や、雇われ人として)農耕馬や牛を扱い、それらの世話をして働らいた。 旅の困難にも関わらず、女性を含む多くの人々にとって長距離旅行は一般的なことだった。上流階級の夫人は頻繁に十字軍やトーナメントに赴く夫に同行し、多くの女性が社交や縁組のために旅行した。修道女も世俗の女性もともに巡礼を行なった。徒歩でなければ、女性は通常、騎乗して旅をするか、衰弱していたり虚弱だったりした場合は、ワゴンや輿で運ばれた。道路状況が許せば、ときには女性は荷馬車(freight wagon)から発達した3ないし4頭の馬で引かれる初期のキャリッジに乗った。より良いサスペンション・システムが発明されるとキャリッジの旅行はより快適になった。貴族の女性もスポーツとして馬に乗り、狩猟や鷹狩などの行事で男性に同行した。 ほとんどの中世の女性は、またがって騎乗した。13世紀までに取っ手や足乗せの付いた初期の椅子のようなサイドサドル(sidesaddle)が利用可能となり、凝ったガウンを着ながら貴族の女性が騎乗できるようになったが、中世のあいだには普遍的には受け入れられなかった。これは主としてそれらの不安定な座席のためで、別に扱う人が導く滑らかな歩様の馬を必要とした。サイドサドルは、鞍の周りに脚を掛けることにより手綱で馬を操作することを可能にしたポメルホーン(pommel horn)が16世紀に開発されるまでは、とくに日々の騎乗のためには実用的にならなかった。その後も、19世紀に第二の発明「リーピングホーン("leaping horn")」が登場するまで、サイドサドルには不安定な動きが残されたままだった。 女性(英語版)が軍馬に騎乗して戦争に参加することもなくはなかった。ジャンヌ・ダルクはおそらくもっとも有名な中世の時代の女戦士だが、ほかにも12世紀に従兄のスティーブン・オブ・ブロワとその妻マティルド・ド・ブローニュに対する軍を率い武装して騎乗した皇后マティルダなど多くいた。15世紀の文筆家クリスティーヌ・ド・ピザンは貴族女性に、「武器の習わしと戦争に関するあらゆることを知り、必要とあらば部下を指揮することに備えることを怠らぬべきである」と説いた。
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