太鼓方
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/18 07:07 UTC 版)
太鼓方金春流(一名・惣右衛門流)は、金春禅竹の伯父金春豊氏(?~1458年)を流祖とする。代々金春座の座付として一族内で世襲し、二世金春勝国(豊氏の甥にあたる)は「吉備津宮」など謡曲作者としても活躍した。 座内の分業が定着する室町時代後期ごろからは、親子間の世襲が多くなり、『四座役者目録』などに多くの逸話を残す三世勝氏(豊氏の子)、金春禅鳳・氏照らの舞台につきあい権守に任せられた四世氏重(勝氏の子)の二代は際だった名人として知られる。五世長詰(宗意)に至って名を川井惣右衛門と改め、六世一峰(宗岸)の代に徳川家康に出仕して以後、江戸時代を通じて専ら惣右衛門流の名により金春座の座付となる。 維新後の能楽衰退期に一時宗家の家系が途絶えたが、熊本から上京した増見仙太郎が流儀の孤塁を守り、多くの高進を育成した。後に増見の子・林太郎が1917年に宗家を復興して、金春惣右衛門国泰(二十一世)を名乗り、柿本豊次(人間国宝)らとともに活躍した。直近の宗家(二十二世)は国泰の子・金春惣右衛門国長(人間国宝、2014年没)。能楽協会には20名弱の役者が登録されている。 元来は朴強な芸風であったと言われるが、二十一世惣右衛門によって近代的な軽快さが加味されるようになった。観世流に比べて撥の扱いが軟らかく、掛け声の多いことが特色。譜そのものも手数が多く、全体に華やかな印象がつよい。
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