大法廷判決後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/09 14:23 UTC 版)
「死刑制度合憲判決事件」の記事における「大法廷判決後」の解説
本判決以降、2018年(平成30年)時点までに日本の裁判所は死刑の合憲性・違憲性について、新たな判断を示していない。なお、1993年(平成5年)9月21日には最高裁第三小法廷(園部逸夫裁判長)にて言い渡された保険金殺人事件(強盗殺人、死体遺棄、殺人、詐欺被告事件)の上告審判決(控訴審の死刑判決に対する被告人側の上告を棄却)の補足意見で、大野正男裁判官が「本判決(大法廷判決)から45年が経過し、その間に死刑制度とその運用に著しい変化がある。しかし、死刑に対する国民の意識・感情について(各種世論調査などの結果を踏まえ)検討すると、我が国民の多くは、今日まで死刑制度の存置を希望してきており、死刑廃止を基本的に支持する者の中でも、即時全面廃止を支持する者は少なく、その多くは死刑の漸次的廃止を支持しているとみられる」と指摘した。その上で、大野は「死刑適用の一般的基準については『各般の情状を併せ考察したとき、その罪責が誠に重大であって、罪刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも極刑がやむをえないと認められる場合』と判示されている。このように、裁判所は死刑を極めて限定的にしか適用していないが、なおその厳格な基準によっても死刑の言渡しをせざるを得ない少数の事件が存在しているというのが我が国の現状である。」と指摘し、「我が国民の死刑に対する意識にみられる社会一般の寛容性の基準及び我が国裁判所の死刑の制限的適用の現状を考えるならば、今日の時点において死刑を罪刑の均衡を失した過剰な刑罰であって憲法に反すると断ずるには至らず、その存廃及び改善の方法は立法府にゆだね、裁判所としては、前記のように死刑を厳格な基準の下に、誠にやむを得ない場合にのみ限定的に適用していくのが適当である」と結論づけている。 1949年(昭和24年)7月27日、福岡刑務所で死刑囚Mと同日(1948年3月12日)に死刑が確定した死刑囚の刑(絞首刑)が執行された(当時の法務大臣:殖田俊吉)。
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