夜の歌謡シリーズ
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「夜の歌謡シリーズ」は、東映が1960年代後半から1970年代前半にかけて、当時のヒット曲をベースに、主に梅宮辰夫の主演で、夜の盛り場を舞台に映画化した歌謡映画シリーズ。同じ梅宮主演の「夜の青春シリーズ」と内容も似ており、区分もはっきりしない。時代的には1965年から1968年頃まで製作された「夜の青春シリーズ」の後、ヒット歌謡曲を映画題名に被せて継続させたのが本シリーズである。「夜の歌謡シリーズ」の後の「帝王シリーズ」もこの流れにあるもの。夜の青春、夜の歌謡、両シリーズとも表面(メイン作)は任侠映画で、全て添えもののB面番組であったが、これは岡田茂プロデューサーが、梅宮を着流し任俠路線の裏番組のエースにするためだった、任侠映画は全てカラーながら「夜の青春シリーズ」は全て白黒だった。このため内容の不気味さが際立っていたが、「夜の歌謡シリーズ」は、全てカラーで、「夜の青春シリーズ」に比べてもう少し華やかなバーやキャバレーが登場し、少し予算も増え、年齢を重ねて妖しいジゴロ風に成長した梅宮が、カラー化でよりケバケバしくデザインしたスーツを着こなす。また特徴的なのが女性の描写で、「夜の歌謡シリーズ」に登場する女優、女性たちは「夜の青春シリーズ」で度々描かれたいつも泣きを見る不幸な女ではなく、計算や欲得を持ち、見極めも備えた強さも描かれ、単純な被害者としては描かれない。僅か数年間であるがこの間に女性の地位が向上したことが分かる。「夜の歌謡シリーズ」の途中に「緋牡丹博徒シリーズ」など女侠客ものや「スケバンもの」が各社で量産されたのも日本社会の変貌の反映を現し、強い女性を描くことが社会からの要請だったといえる。但し「夜の青春シリーズ」はあまりにも女性をバカにした映画だと攻撃されたが、本シリーズも男性本位が貫かれていることには変わりはない。 歌謡映画は古くからある映画ジャンルの一つで、定義としては「歌手を主演にした映画」「ヒット曲をヒントに製作する映画」のどちらかを指す場合が多い。東映でいえば、前者の代表的なものが美空ひばり主演映画で、後者の場合は、あらかじめ企画を上げる訳ではなく、ヒット曲が出た時に慌てて作るという特徴を持つ。岡田茂が映画本部長時代の1971年2月の映画誌のインタビューで「『おんな』で興行がちょっと落ち込んだんで、しばらく次作は様子を見ているとこ...。「歌謡シリーズ」というのは歌がものすごくヒットして、しかもウチ向きの歌でないとネ...。こういうのは忘れたころに出すとヒットするんだよ、ちょっと間をおいて。森進一の『港町ブルース』だとかいうヤツは、写真の出来いかんじゃなしに、当時大ヒットを飛ばしていたからネ。やはり藤圭子の『夢は夜ひらく』(『ずべ公番長・夢は夜ひらく』)もあれはかなり歌で助けられているね。歌のはやるのを事前に掴んで、いま森進一が非常に人気がある。この次は何だと聞いて、なかなか激戦になるから、先物を買う。しかし偶然その歌がそうヒットしないことがあるんですよ。そうすると写真を作らないわけにはいかんし、歌がヒットしないと、さっぱり当たらない。だからこれは非常に危険が伴うから、まず大ヒットしてから押さえるという原則を立てなければいかんね。少し高くついてもその方が安全です」などと解説している。この話から、「夜の歌謡シリーズ」というのはジャーナリストが付けた呼称で、製作者は東映の「ヒット曲をヒントに製作する映画」全てを「歌謡シリーズ」と呼んでいたと見られる。梅宮出演映画でもこれ以前の1962年に、こまどり姉妹のヒット曲を映画化した『こまどり姉妹 おけさ渡り鳥』や1963年に畠山みどりのヒット曲を映画化した『恋は神代の昔から』を製作しているが、これらはメロドラマで当然「夜の歌謡シリーズ」には入れられない。この他、1960年代に任侠映画のシリーズで、北島三郎や村田英雄のヒット曲をベースに本人も出演した映画が製作されたが、これらを歌謡映画と呼ぶことはない。
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