村田英雄
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村田 英雄(むらた ひでお、公称1929年(昭和4年)1月17日 - 2002年(平成14年)6月13日)は、日本の演歌歌手、俳優。佐賀県東松浦郡相知町(現・唐津市)出身。出生は福岡県浮羽郡吉井町(現・うきは市)である。本名:梶山 勇。血液型はAB型。新栄プロダクションに所属していた。愛称は、ムッチー。 浪曲で鍛え上げた歌声と男らしい風貌、世界観を持ち味に、戦後歌謡界の黄金期をリードした演歌界を代表する歌手の一人である。
注釈
出典
- ^ 「証言 十五ビルで遺体搬出」『火の雨が降った 6・19福岡大空襲』福岡空襲を記録する会 1986年 P.95-96
- ^ “村田英雄さん亡くなる、73歳”. ZAKZAK. (2002年6月13日). オリジナルの2002年10月18日時点におけるアーカイブ。 2014年4月14日閲覧。
- ^ “訃報・村田英雄さん”. 日刊スポーツ. (2002年6月13日). オリジナルの2002年10月16日時点におけるアーカイブ。 2014年4月14日閲覧。
- ^ 当時同じレコード会社の歌手同士がトリをつとめることは暗黙のタブーとされていた。村田が白組トリを取れなかった経緯の詳細については、『第28回NHK紅白歌合戦』の項を参照。
- ^ 村田と三波春夫が舞台で共演した際、台本に「三波上手(かみて)、村田下手(しもて)」と、立ち位置について書いてあり、村田が「何で三波が上手(じょうず)で俺が下手(へた)なんだ!」と激怒したという逸話。その真偽の程は不明。
- ^ 『ドキュメンタリー紅白歌合戦 あの時あの歌』(日本放送協会出版刊 1984年)より
- ^ “晴れ姿!!旅役者座長大会”. NHK (1980年10月27日). 2021年9月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年9月18日閲覧。
村田英雄
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「ビートたけしのオールナイトニッポン」の記事における「村田英雄」の解説
ひょんな事から「村田英雄の頭はデカい」という話になり、リスナーからネタを募ったところ村田に馴染みのなかった若年層から人気が爆発、「ムッチーブーム」の火付け役となった。敬意とおちょくりを交え、村田のことは「村田先生」と呼ぶのが通例だった。1981年5月のコーナー放送中に、当時まだ面識の無かった村田からスタジオに電話が入り、初めは録音だと思っていたたけしは、生電話だと知るや応対にたじろいでいた。また、後に村田を正式なゲストとして招き、たけしが村田の親分とともに三波組を叩き斬る任侠物のドラマ「男の盃」を放送したこともある。最初は滑稽なコント劇の予定だったが、村田が本気で乗り気になったため、作家の高田文夫が村田を褒め称える内容に急遽書き換えた。
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