地域化、EFTAの結成からEC加盟へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/28 14:29 UTC 版)
「イギリスの歴史」の記事における「地域化、EFTAの結成からEC加盟へ」の解説
ヨーロッパ大陸では1951年、フランス、ドイツ、イタリア、オランダ、ベルギー、ルクセンブルクの6カ国によって欧州石炭鉄鋼共同体が発足、1957年にはこれをベースとしてヨーロッパ経済圏の確立を目指す欧州経済共同体(EEC)が成立した。イギリスではこれに対抗して1959年、スウェーデン、ノルウェー、デンマーク、オーストリア、スイス、ポルトガルの7カ国で欧州自由貿易連合(EFTA)を結成した。EFTAは域内での自由貿易が目的であったが、フランス、ドイツなどのヨーロッパの先進工業地域、経済的な中心地はEECに押さえられていた。又1967年、欧州石炭鉄鋼共同体、ヨーロッパ経済共同体に欧州原子力共同体を統合して欧州共同体(EC)が誕生すると、ヨーロッパ中心部に巨大な関税同盟とマーケットが出現し、「イギリスもECに加わるべきである」とする議論が活発になった。これはイギリスの国論を二分する激しい議論となり、ECの経済的優位性に魅力を感じる賛成論に対してイギリスの経済的な独自性を維持すべきであるという反対論が存在した。1973年、イギリスはデンマークと共にEFTAを脱退、ECへの加盟を果たした。この時イギリス、デンマークと共にアイルランドもECに加盟し、これはヨーロッパ共同体の拡大の始まりとなった。ただしこれでイギリスのEC加盟が確定したわけではなく、EC加盟後の1975年にEC加盟の是非を問う国民投票を行って初めて確定した。 以降も、ECは拡大を続けた。1989年に冷戦が終結するとECという地域連合は、東欧革命なども発端となり西ヨーロッパだけではなく旧東側諸国のヨーロッパ全域における政治、経済の統合に向かって一層の弾みがつけられた。1993年にECは欧州連合(EU)に発展した。EUはヨーロッパにおける政治、経済の統合を目指して様々な方針を打ち出した。ヨーロッパを単一の市場とみなして、人、モノ、お金の流通を自由化するという方針は経済分野での統合の最たるものである。このうちお金に関しては、1992年からヨーロッパ単一通貨の導入を目指した動きが始められた。この運動は2002年に導入されたユーロとして結実する。イギリスはユーロ導入に当たって、保留権を行使し独自通貨であるイギリス・ポンドを維持している。また、EU内の人の国境を超える移動の自由化(パスポートやビザなど出入国手続き不要)を保障したシェンゲン協定にも署名していない。
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