つち‐ぐら【土倉/×窖】
ど‐そう〔‐サウ〕【土倉】
土倉
土倉
土倉
土倉
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土倉
姓 | 読み方 |
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土倉 | つちくら |
土倉 | とくら |
土倉 | とぐら |
土倉 | どくら |
土倉 | はくら |
土倉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/24 01:58 UTC 版)
土倉(どそう・とくら・つちくら)は、鎌倉時代および室町時代の金融業者。現在の質屋のように物品を質草として担保とし、その質草に相当する金額の金銭を高利で貸与した。
注釈
- ^ 公家の金融行為としては日野富子や唐橋在数の事例が知られており、また土豪の金融行為としては洛北・大森(現在の京都市北区)を本貫とする土豪の大森氏が天文年間の京都市中にて手広く金融業を手掛けていたことが知られているが、かつての研究では大森氏を戦国期の典型的な土倉と認識されていた[1]。
- ^ 酒匂由紀子は土倉を金融業者と位置づけて室町幕府が土倉に商業税を賦課したとする解釈の最初は新井白石の『読史余論』であるが、これは『応仁記』「乱前御晴之事」(巻第一)に記された"倉役"の記事を倉方=「富商富民」にかけた税と独自に解釈した上で、続く"徳政(令)"に関する記事と混同している一種の「誤読」をしていると指摘する。続いて、頼山陽が『新策』や『通議』の中で『読史余論』の説を引いているが、山陽は倉役は富商富民にかけられた御用金の一種と考え、室町幕府が"倉役"と称して富商から金を借り上げて足利義政の時代には"徳政"と称してそれを踏み倒すことを繰り返していたと理解していた。白石や山陽は当時(江戸時代)の社会常識や制度をもって過去の事象を解釈してしまったとみられる。更に明治になって日本商業史・経済史研究の祖となった横井時冬は『日本商業史』の中で山陽の説を参考にしながら、"倉役"を質屋の株仲間に対する冥加金の先駆けと解釈して「質物を取りて営業とするものを土倉と称し」と説いた。横井の研究は明治以前には行われていなかった商業や経済の歴史的推移を数多くの史料の中から抽出して史料の多い近世の事象を参考に中世の事象を解釈したもので、横井に続くこの分野の研究者がすぐには登場しなかったこともあって、『古事類苑』や三浦周行の「足利時代の徳政」が横井説による土倉の解釈をそのまま採用し、更に豊田武や奥野高広が三浦説を元に土倉について論じたことで通説化したものであり、今日の歴史学の研究では問題のある手法を採っている横井説(及びその見解をそのまま引用した三浦やそれに続いた豊田・奥野らの研究を含めて)の検証がなされていないとしている[3]。
出典
- ^ 酒匂由紀子「戦国期京都の〈土倉〉と大森一族」(初出:『日本史研究』625号(2014年)/所収:酒匂『室町・戦国期の土倉と酒屋』(吉川弘文館、2020年) ISBN 978-4-642-02961-2) 2020年、P22-37.
- ^ 酒匂由紀子「応仁・文明の乱以前の土倉の存在形態について」(初出:『民衆史研究』94号(2018年)/改題所収:「応仁・文明の乱以前の土倉の存在形態」酒匂『室町・戦国期の土倉と酒屋』(吉川弘文館、2020年) ISBN 978-4-642-02961-2) 2020年、P56-57.
- ^ 酒匂由紀子「中世の〈土倉〉に関する解釈の淵源について」(初出:『法制史研究』68号(2019年)/改題所収:酒匂「中世の〈土倉〉に関する解釈の淵源」『室町・戦国期の土倉と酒屋』(吉川弘文館、2020年) ISBN 978-4-642-02961-2) 2020年、P81-104.
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