和人進出とは? わかりやすく解説

和人進出(奈良時代 - 鎌倉時代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 04:30 UTC 版)

北海道」の記事における「和人進出(奈良時代 - 鎌倉時代)」の解説

古く『日本書紀』渡島わたりしま)として登場している。事実かどうか諸説あるが、『日本書紀』には、斉明天皇阿倍比羅夫命じ蝦夷征するため、渡島1万軍勢送ったとある。比羅夫蝦夷下し、さらに降伏した蝦夷とともに粛慎なる異民族討ち捕虜連れ帰ったという。 奈良時代平安時代には出羽国交易行なった当時住民は、東北地方北部住民同じく蝦夷(えみし)と呼ばれていた。恐らく両者同一民族で、北海道側の蝦夷が後の蝦夷(えぞ)、現在のアイヌ先祖だと考えられている。 中世以降北海道住民蝦夷(えぞ)と呼ばれ北海道の地は蝦夷が島、蝦夷地(えぞち)など様々に呼ばれた古代蝦夷(えみし)は農耕も生活のとしていたが、次第狩猟漁業特化しなどを日本人和人)の交易で得るようになっていった。 また鎌倉時代以降になると、後の松前藩和人地基礎となった渡党活動見られるうになる

※この「和人進出(奈良時代 - 鎌倉時代)」の解説は、「北海道」の解説の一部です。
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