かのう‐どうし【可能動詞】
可能動詞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/09 04:03 UTC 版)
可能動詞(かのうどうし)とは、現代日本語(共通語)において五段活用の動詞を下一段活用の動詞に変化させたもので、可能(行為をすることができること)の意味を表現する。「書く」に対する「書ける」、「打つ」に対する「打てる」の類をいう。室町時代に発生し、次第に元来の可能の助動詞「〜れる」を用いる語法に取って代わった。
五段活用動詞 | 可能動詞 | |
---|---|---|
あ行 | 会う・買う・扱う | 会える・買える・扱える |
か行 | 行く・書く・歩く | 行ける・書ける・歩ける |
が行 | 漕ぐ・研ぐ・泳ぐ | 漕げる・研げる・泳げる |
さ行 | 貸す・足す・起こす | 貸せる・足せる・起こせる |
た行 | 打つ・立つ・放つ | 打てる・立てる・放てる |
な行 | 死ぬ | 死ねる |
ば行 | 飛ぶ・呼ぶ・遊ぶ | 飛べる・呼べる・遊べる |
ま行 | 編む・積む・楽しむ | 編める・積める・楽しめる |
ら行 | 釣る・蹴る・練る | 釣れる・蹴れる・練れる |
「行くことができる」という可能を表す表現には、「行ける」のほかに「行かれる」もある。「行ける」が可能のみを表すのに対し、「行かれる」は自発・尊敬・受身の意味でも使われる。
「行かれる」のような「~れる・られる」の形は、古語の「~る・らる」の形から変化したものだが、「行ける」のような可能動詞はそれとの関係は不明である。由来には大きく2説があり、「知るる(知れる)」等からの類推で、従来からあった四段(後に五段)活用動詞に対する下二段(後に下一段)段活用の自発動詞が一般化した(類似の動詞の項を参照)という説[1]と、「行き得(る)」のような「連用形+得(る)」の表現が変化したという説[2]とがある。
なお形態的には全く異なるが、「する」に対して「できる」も可能動詞と同様に用いられる(例:「使用する」に対して「使用できる」など)。
可能動詞には命令形が用いられにくく、「読めろ」・「走れろ」などの命令的な表現は極めて稀である。
可能表現の変化
元来は可能動詞を使わず、動詞の可能を表すには助動詞「る・らる」(現代の「れる・られる」)を用いていた。今は「読む」のような五段活用動詞の可能を表すには、専ら可能動詞を使って「読める」とするが、鎌倉時代頃には「読まるる(読まれる)」の形のみが認められていたのである。
可能動詞の発生は室町時代まで遡るが、多く用いられるようになったのは近代に至ってからである。
そうして可能動詞の使用が一般に広まるにつれ、逆に旧来の可能表現「れる」が耳慣れないという理由だけで疑問視されるような風潮も現われてくる。例えば「○○方面へは行かれません」という道路標識を見て「間違いではないか?」と行政に問い合わせることなどがある[要出典]。しかし「行かれる」など一部の「動詞+れる」については、これを可能の意味で使うことはしばしば行われている[3]。
五段活用動詞 | 可能動詞 | 元来の可能表現 | |
---|---|---|---|
あ・わ行 | 会う | 会える | 会われる |
か行 | 行く | 行ける | 行かれる |
が行 | 漕ぐ | 漕げる | 漕がれる |
さ行 | 貸す | 貸せる | 貸される |
た行 | 打つ | 打てる | 打たれる |
な行 | 死ぬ | 死ねる | 死なれる |
ば行 | 飛ぶ | 飛べる | 飛ばれる |
ま行 | 編む | 編める | 編まれる |
ら行 | 釣る | 釣れる | 釣られる |
類似の動詞
可能動詞と別に、五段活用に対する下一段活用(古くは下二段活用)の自発動詞も数は少ないが存在する。例えば「切る」に対する「切れる」や、「裂く」に対する「裂ける」などがある。「気が置けない」という慣用句も、「気を置くことができない」ではなく、「気が置かれない」という意味である。
ら抜き言葉
いわゆるら抜き言葉は、上一段活用動詞(例:起きる、閉じる、見る)、下一段活用動詞(例:受ける、見せる、出る、食べる)、カ行変格活用動詞(『来る』の1語のみ)に対して、可能の助動詞を付ける場合に、「〜られる」を「〜れる」とする現象である。これは、ラ行五段活用動詞の可能動詞と混同することで発生したと考えられている。
これは上記の可能動詞のみで発生するから、「れる」「られる」の4つの意味のうち、次に示す3つの意味ではら抜きは発生しない[4][5]。
- 受身…例「部屋に入って来られると困る。」
- 尊敬…例(実験室にて実験器具の配置が変わっている様子を見て驚く人に向けて)「先生が変えられました。」
- 自発…例「(統計図を見ながら)春季には売り上げが伸びると見られる。」
関連項目
脚注
- ^ 坂梨隆三『近世語法研究』武蔵野書院、2006年。
- ^ 渋谷勝己「日本語可能表現の諸相と発展」『大阪大学文学部紀要』33-1、1993年。
- ^ 松岡弘(監修)庵功雄ほか(著)『初級を教える人のための日本語文法ハンドブック』スリーエーネットワーク、2000年。
- ^ 動詞の可能形「食べられる」「出られる」「見られる」などから「ら」を抜いた… http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%82%89%E6%8A%9C%E3%81%8D%E8%A8%80%E8%91%89&dtype=0&dname=0na&stype=0&pagenum=1&index=19157500
- ^ 可能の意味で「ら」が欠落する場合のみを「ら抜き言葉」と俗にいうため、たとえ他の3つの意味で「ら」が欠落しても、それはら抜き言葉とは呼ばない。
可能動詞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 05:59 UTC 版)
今日、「漢字が書ける」「酒が飲める」などと用いる、いわゆる可能動詞は、室町時代には発生していた。この時期には、「読む」から「読むる」(=読むことができる)が、「持つ」から「持つる」(=持つことができる)が作られるなど、四段活用の動詞を元にして、可能を表す下二段活用の動詞が作られ始めた。これらの動詞は、やがて一段化して、「読める」「持てる」のような語形で用いられるようになった。これらの可能動詞は、江戸時代前期の上方でも用いられ、後期の江戸では普通に使われるようになった。 従来の日本語にも、「(刀を)抜く時」に対して「(刀が自然に)抜くる時(抜ける時)」のように、四段動詞の「抜く」と下二段動詞の「抜く」(抜ける)とが対応する例は多く存在した。この場合、後者は、「自然にそうなる」という自然生起(自発)を表した。そこから類推した結果、「文字を読む」に対して「文字が読むる(読める)」などの可能動詞が出来上がったものと考えられる。 近代以降、とりわけ大正時代以降には、この語法を四段動詞のみならず一段動詞にも及ぼす、いわゆる「ら抜き言葉」が広がり始めた。「見られる」を「見れる」、「食べられる」を「食べれる」、「来られる」を「来れる」、「居(い)られる」を「居(い)れる」という類である。この語法は、地方によっては早く一般化し、第二次世界大戦後には全国的に顕著になっている。
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