古代宗教における時間
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 10:12 UTC 版)
ここから先は時代に沿って、様々な時間観を見てゆく。 古代宗教における時間については、ミルチア・エリアーデが透徹した解釈を行った。聖なる時間によって俗なる時間は隔てられ、中断される。聖なる時間をその前後の俗なる時間から区別するのは、ヒエロファニー(hierophany、聖なるものの顕現)である。周期的に営まれる祭儀は、本来、俗なる時間を中断して神が顕現する聖なる時間なのだという。 聖なる時間は可逆的で、反復可能である。 人は、通俗的な時間を中断する力をもった祭儀を周期的に営むことで、聖なる時間へ立ち帰り、神々と同一化する。これは真実在への渇望にもとづく。 神々による世界創造の時間が、あらゆる時間の原型とされた。聖なる時間は、世界が創造された根源的時間を象徴する。宇宙の原初において聖なるものが顕現した根源的時間を周期的に再現する、ということが宗教暦の基盤である。祝祭はたんなる記念日ではなく、神話的出来事を再現している。 周期的祝祭のうち、重要なのは新年である。多くの民族の言語で、「世界」をあらわす言葉が同時に「年」をも意味することが指摘されている。これは、世界が新年ごとに再生し更新されている、という観念である。したがって新年は世界創造の再現であり、新年ごとに原初の生命力を更新して再生する。 ここにあるのは円環的な構造をもち、無限に反復する時間である。こうした円環的時間への信仰は、時間の周期的な全面的再生への願望を生み出している。世界と人は周期的に創造-存続-終末的破滅-創造…を繰り返す(Great Year「大年」)。時間は宇宙の創造から破滅にいたる一周期を終えると、さらに他の周期を始め、完全に再生する。ここには永遠に対する希求があるという。
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