古代の爵位:カバネ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 00:07 UTC 版)
日本では東洋・西洋諸国に定められる、いわゆる爵位制度を正式に定めるのは明治時代以降のことである。しかし古くは氏姓制度の中で大臣や大連、臣、連など豪族の氏に対して与えられる称号であるカバネが日本独自の爵位制度として存在していた。しかし飛鳥時代に入ると中国王朝への朝貢と服属によらず対等な国づくりを目指した聖徳太子により十七条憲法と行政機構の整備が進められ国内統治の根幹をなす官僚の身分秩序として冠位十二階が制定され、従来の氏族の序列による氏姓制度に取って替わるようになった。まさにこの冠位こそ中国の爵位を意識して整備されたものであり、実質的に爵位としての機能を果たした。ただし、中国の爵位制度や古代日本の八色の姓が冠位十二階と異なるのは前者が有力氏族の血筋を階級化する人爵であったのに対し後者の冠位は孟子の唱えた天爵、即ち仁・義・忠・信の人徳を備えた人物像を尊ぶ五行思想に基づくものであった。冠位十二階は、冠位への登用は氏族の出自によらず人物の器識徳量に応じて登用するという今日の能力主義の見地に立った身分制度であった。一方で、従来のカバネは消滅することなく存続し天武天皇の代に八色の姓として再編された。氏族の出自は官人の選考要件のひとつとして看做されてはいたが701年(大宝元年)の大宝令、718年(養老2年)の養老令で冠位制度に代わり位階や勲位がしかれていく中で出自により細分化されていたカバネも次第にほぼ朝臣の姓に集約されていくようになり、カバネ自体の等級的な性格は次第に失われていった。
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