原マルチノとは? わかりやすく解説

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はら‐マルチノ【原マルチノ】

読み方:はらまるちの

[1568?〜1629]安土桃山時代天正遣欧使節副使肥前の人。マルチノ洗礼名で、本名未詳帰国後、通訳出版活躍


原マルティノ

(原マルチノ から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/29 01:38 UTC 版)

原 マルティノ(はら マルティノ、Martinão, 永禄12年(1569年)ごろ - 寛永6年9月7日1629年10月23日))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけてのキリシタンイエズス会員でカトリック司祭マルチノ、またはマルチィノとも。天正遣欧少年使節の副使で、使節の少年4人の中では最年少であったが、語学に長け、ローマからの帰途のゴアラテン語の演説を行い有名になる。




「原マルティノ」の続きの解説一覧

原マルチノ(はら マルチノ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 09:18 UTC 版)

サムライ・ラガッツィ -戦国少年西方見聞録-」の記事における「原マルチノ(はら マルチノ)」の解説

天正遣欧少年使節団副使使節団最年少で、語学天分がありどんな言葉僅かな時間覚えてしまう。体格背丈も他の3人より特に小さくて臆病なところもあるが、晴信とマンショ他国の戦に巻き込まれた時は率先して荷物届けるなどの行動力見せた

※この「原マルチノ(はら マルチノ)」の解説は、「サムライ・ラガッツィ -戦国少年西方見聞録-」の解説の一部です。
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