南陽郡 (朝鮮)とは? わかりやすく解説

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南陽郡 (朝鮮)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/21 05:22 UTC 版)

(ナミャンぐん、なんようぐん、: 남양군)は、かつて存在した京畿道の行政区域で、今日の華城市西部(南陽邑朝鮮語版など)と、安山市大阜洞朝鮮語版仁川広域市甕津郡霊興面朝鮮語版一帯にあたる。日本統治時代初期、1914年の行政区域改編で水原郡朝鮮語版と合併し、島である大阜洞と霊興面は富川郡朝鮮語版に吸収された。

(ヨンジェ、ねいてい、: 영제)、(クワポ、かほ、: 과포)は、南陽の異称である。

由来

古くは(タンウンぐん、とうおんぐん、: 당은군)、(タンソンぐん、とうじょうぐん、: 당성군)と呼ばれた。百済新羅が中国と往来した華城唐城朝鮮語版(別名、党項城、당항성)が当地にあった。 党項城は、百済と新羅が、中国との交易朝貢)で優位を占めようと、激しく争奪戦を繰り広げた場所であった。雨汀邑朝鮮語版長安面朝鮮語版一帯は、三帰、ないし、三槐(サムグィ、さんき、삼귀)と称され、高麗時代には双阜県朝鮮語版と呼ばれた。

歴史

大東輿地図』の一部。図の右上の部分に「大阜」、「双阜」などの地名が見える。
  • 三韓時代の馬韓の爰襄国(원양국)、後の双阜県の地域は桑外国(상외국)であったと推定されている。
  • 三国時代初期、百済の領域に属し、唐城(당성)と呼ばれ始めた。
  • 高句麗長寿王の時代以後、一時は高句麗に占領された。
  • 百済の聖王の時代、しばらくの間は百済の領土として回復されたが、新羅の真興王が奪取して新羅に編入し、以降は党項城と呼ばれた。
  • 757年景徳王16年、行政制度の改編によって唐恩郡と改称された後、車城県(거성현)と振威県(진위현)の2県を管轄した[1]
  • 829年興徳王4年、唐城鎮(당성진)が設置された。
  • 高麗時代、双阜県と称され始めた。
  • 1018年顕宗9年、水州(水原)へ属郡として編入された。その後、再び弥鄒忽朝鮮語版(仁川)に編入された。
  • 1172年明宗2年、監務が設置された。
  • 1271年元宗12年、モンゴル帝国が大阜島を侵略したが、すぐに島の住民たちが蜂起して殲滅した。
  • 1290年忠烈王16年、洪茶丘の故郷として益州の名で昇格し、知益州事が派遣された。以後、江寧都護府や益州牧が設置された。
  • 1310年忠宣王2年、全国の朝鮮語版が廃止され、南陽府(도호부)となった。
  • 1413年朝鮮王太宗13年、南陽都護府(남양도호부)として再昇格した。
  • 1644年仁祖22年、に降格。その後、1653年孝宗4年に都護府に戻り、再び1661年顕宗2年に綱常罪(강상죄)事件で県で降格、1674年には再び都護府に復旧するという混乱が生じた。
  • 1895年、陰暦5月1日二十三府制の行政区域改編にともない、郡として再編されて仁川府南陽郡となった[2]
  • 1896年8月4日京畿道南陽郡に改編された[3]
  • 1906年9月24日、水原郡から八灘面・分郷面・長安面・草長面・鴨汀面・梧城面を、仁川府から梨浦面を編入。[4]
  • 1914年4月1日、大阜面と霊興面は富川郡に編入され、残りの地域は水原郡と統合された[5]

1914年以後の歴史については富川郡(부천군)、水原郡(수원군)を参照。

行政区画

  • 陰德里面 - 상동, 중동, 하동, 북동, 고서미동, 서미동(鼠尾洞), 서미동(瑞尾洞), 석문동, 산양동, 신양동
  • 禾尺只面 - 외동, 중동, 내동, 장전동, 산화동, 수충동, 양철리, 분지동, 서호동, 문기동, 시리동, 송림동, 원막동, 천곡동
  • 屯知串面 - 장곶동, 덕방동, 안의동, 거석동, 무송동, 신정동, 활초동, 온석동
  • 分郷里面 - 상동, 신동, 하동, 안길리, 구밀동, 문언동, 석천동
  • 双守里面 - 송정동, 중리동, 석교동
  • 麻道面 - 송치동, 쌍봉동, 상원동, 청산동, 해문동, 백곡동, 금당동, 고모동, 슬항동
  • 松山面 - 고잔동, 포막동, 중송동, 천등동, 독지동, 마산동, 화량동, 거지동
  • 水山面 - 삼존동, 봉가동, 사강동, 육교동, 북일동
  • 細串面 - 대각동, 원정동, 고잔동, 우음도, 고포동, 용수동, 대정동, 복정동, 천등동, 신동
  • 西如堤面 - 칠곡동, 전곡동, 상림동, 대안리, 광평동, 장외동, 송교동
  • 新里面 - 홍법동, 사곶동, 용두동, 궁평동, 백미동, 매화동, 제부동
  • 旀知串面 - 포촌동, 유지동, 대전동, 신남동, 존의동, 건로동, 백로동, 동학동, 백학동, 검다동, 일수동, 구포동, 연화동, 이화동, 도파동
  • 楮八里面 - 자양동, 신안동, 청령동, 요곡동, 상기동, 하기동, 하저동
  • 八灘面 - 안산동, 상사천동, 하사천동, 독곡동, 전대동, 언창동, 발안동, 가재동, 율리동, 노상동, 입암동, 노하동, 덕우리, 장지동, 진월동
  • 長安面 - 일동, 이동, 삼동, 사동, 오동, 육동
  • 草長面 - 일동, 이동, 개원동, 삼동, 율전동, 사동, 오동, 육동, 칠동, 진학동
  • 雨井面 - 일동, 이동, 삼동, 사동, 오동, 육동, 칠동, 팔동
  • 鴨汀面 - 일동, 이동, 삼동, 사동, 오동, 육동, 칠동, 팔동, 구동, 국화도
  • 大阜面 - 선감동, 풍도, 영전동, 용곶동, 진현동, 상동, 하동
  • 霊興面 - 선재리, 내리, 외리, 자월리, 대이작리, 소이작리

関連項目

脚注

  1. ^ 唐恩郡, 本高句麗 唐城郡, 景德王改名, 今復故. 領縣二: 車城縣, 本高句麗 上[一作車.]忽縣, 景德王改名, 今龍城縣; 振威縣, 本高句麗 釜山縣, 景德王改名, 今因之.35卷-志4-地理2-09《三國史記
  2. ^ 칙령 제98호 지방제도의개정에관한안건
  3. ^ 칙령 제36호 지방제도와관제개정에관한안건
  4. ^ 大韓帝国勅令第49号(1906年9月24日)
  5. ^ 朝鮮総督府令第111号(1913年12月29日



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