劇場沿革とは? わかりやすく解説

劇場沿革

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/31 15:48 UTC 版)

フォード劇場」の記事における「劇場沿革」の解説

劇場位置は、元々は1833年最初ワシントンD.C.バプテスト教会として建設され教会拠点であった教徒団が教会権利明渡した後の1861年ジョン・T・フォード所有権引き継ぎ劇場として改装した。彼は当初劇場を「フォード文芸振興館(アシニーアム)」と称した建物1862年火事内部全焼する事故見舞われたが、翌年に「フォード新劇場」として改築開場したバージニア州アポマトックス郡庁舎アポマトックス・コートハウス)にて、南北戦争における南軍司令官ロバート・E・リー降伏してから僅か5日後、リンカーン大統領階上バルコニー席である「ステート・ボックス」に座り、「われらがアメリカのいとこ(Our American Cousin)」を観賞していた。その時当時有名な俳優で、廃れつつあった南部連合援助しよう必死でもあった、ジョン・ウィルクス・ブース大統領ボックス席へ足を踏み入れ大統領頭部近距離からデリンジャーピストルで狙撃したその後彼は席からステージ飛び乗り、足を骨折しつつも、バージニア州ラテン語モットーである「専制者は常にかくのごとしSic semper tyrannis)」や、ちょうど路地通って逃走する際に「南部復讐果たした!」と叫んだとされる。(リンカーン大統領暗殺事件参照。) 暗殺事件以降演劇場としては約1世紀のあいだ閉鎖された。1866年から1887年の間、アメリカ陸軍によって引き継がれ1階を後に現在のアメリカ国防総省一部となるアメリカ陸軍局の記録保管所、2階米国国立医学図書館国立健康医学博物館本部として扱われた。1887年こうした医学的機関用途排除され陸軍局員の事務室となった。更に1893年建物崩れ落ちる事件起き22人の陸軍局員が死亡68人の局員重軽傷負った。この事件多く人々に、劇場へと改変される以前教会物置呪われているのではないかといった噂や、劇場起きた数々悲劇がこの呪い確証づけるものであるといった説を信じさせる結果となったその後建物修復され1931年まで政府保税倉庫として使用された。劇場は、それから1967年12月政府劇場復興為の資金提供する是認なされるまでの30年もの間、全く寂れてしまっていた。以来1970年から現在まで、フォード劇場現役劇場であると共にアメリカ合衆国第16代大統領暗殺思い起こす史跡となっている。また劇場地下階にある博物館はオルロイド・コレクション・オブ・リンカーニアナの一部を含む。 2008年現在、改修工事のため一時閉鎖となっており、2009年中の再開予定されている。

※この「劇場沿革」の解説は、「フォード劇場」の解説の一部です。
「劇場沿革」を含む「フォード劇場」の記事については、「フォード劇場」の概要を参照ください。

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