前期中央火口丘の噴出
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 17:04 UTC 版)
「箱根火山の形成史」の記事における「前期中央火口丘の噴出」の解説
約13万年前から箱根火山の噴火の形態が変わった。これまで外輪山の北西と南東山腹で続いていた単成火山の活動が終息し、火山活動はカルデラ内部のみに限られるようになった。この時期の噴火はデイサイト質や流紋岩質の溶岩を大量に噴出し、頻繁にプリニー式噴火を繰り返してデイサイト質のテフラを大磯丘陵や伊豆半島北部に降下させた。特に約12万前から10万年前にかけては活動が活発で、1000年未満の間隔で爆発的なプリニー式噴火を繰り返し、大量のテフラを降下させた。またこの時期のテフラの中からも形成に水が関わる火山豆石が発見されており、噴火口付近に湖が存在した可能性がある。しかしカルデラ内部からはこの時期のものと考えられる火砕流堆積物が検出されるが、箱根火山周辺からは箱根火山による火砕流の堆積物は検出されておらず、外輪山を越えて広域に火砕流がもたらされるほどの規模の大きな噴火はなかったものと考えられる。 これらの噴火によって、カルデラ内には安山岩質、デイサイト質や流紋岩質の溶岩や溶岩ドームが厚く積み重なった火山が形成された。これらの火山は一種の単成火山の集合体を形成しており、現在の鷹巣山や屏風山、浅間山といった頂上部が比較的平坦な台地状の山体がそれに当たる。また久野は鷹巣山や屏風山、浅間山を新期外輪山と呼んだが、新期外輪山の噴出後に形成されたとされる新期カルデラの存在がはっきりしないため、最近では前期中央火口丘と呼ばれるようになった。
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