刀伊の入寇
刀伊の入寇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 02:32 UTC 版)
1019年(寛仁3年)、正体不明とされた賊船50隻が対馬を襲撃した。記録されているだけで殺害された者365人、拉致された者1289人で、有名な対馬銀鉱も焼損した。これは、奴隷にすることを目的に日本人を略奪したものであり、被害は対馬のみならず壱岐・北九州におよんだ。現在では賊(日本側に捕らわれた捕虜3名はすべて高麗人)の主体は刀伊(一部は高麗に朝貢していたと言われる女真族)であったとされており、この事件は「刀伊の入寇」と呼ばれる。女真族は、このとき対馬の判官代長嶺諸近とその一族を捕虜にしており、諸近は一度は逃亡できたものの妻子をたずねて高麗にわたり、日本人捕虜の悲惨な境遇を見聞して帰国したという記録が残っている。
※この「刀伊の入寇」の解説は、「対馬」の解説の一部です。
「刀伊の入寇」を含む「対馬」の記事については、「対馬」の概要を参照ください。
固有名詞の分類
- 刀伊の入寇のページへのリンク