伊予親王の変とは? わかりやすく解説

伊予親王の変

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/15 01:38 UTC 版)

伊予親王の変(いよしんのうのへん)は、大同2年(807年)に起こった政変。藤原吉子伊予親王母子が処罰され2人は自殺したが、後に無罪が認められた。


注釈

  1. ^ 藤原種継暗殺事件の首謀者とされた早良親王(伊予親王の叔父にあたる)が朝廷から飲食を与えられず意図的に殺害されたとする説を採る西本昌弘は、藤原吉子・伊予親王母子も同様の措置を取られた結果、自分達の死を覚悟して自ら毒を仰いだとする説を唱えている[2]
  2. ^ 櫻木潤「伊予親王事件の背景-親王の子女と文学を手がかりに-」『古代文化』56-3(2004年)は、名を「吉岡女王」としている。

出典

  1. ^ 目崎徳衛「平安時代初期にあける奉献」『平安文化史論』桜楓社、1968年
  2. ^ 西本昌弘 「早良親王薨去の周辺」初出:日本歴史学会 編『日本歴史』629号、2000年10月 p.69-74/所収:西本『平安前期の政変と皇位継承』所収、吉川弘文館、2022年 ISBN 978-4642046671 p.14-23
  3. ^ 西本昌弘「神泉苑御霊会と聖体護持」『平安前期の政変と皇位継承』(吉川弘文館、2022年), pp. 237-240:初出:原田正俊 編『アジアの死と鎮魂・追善』(勉誠出版 アジア遊学245、2020年)


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